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バーベルを担ぐ前【25/10/28】

今日は脚トレの日だった。スクワットに始まりブルガリアンスクワット、レッグエクステンション、レッグカール、そして締めのカーフレイズ。フルコース。うんかなり追い込めたと思う。

 

鏡を見ながらフォームを確認しつつやるんだけど自分の顔がまあやばい。歯を食いしばりすぎて顎が外れるんじゃないかと思うくらい。首には筋がくっきりと浮き出て顔は茹でダコみたいに真っ赤になるもんだから目の下のクマがやけに目立つ。これ本当に無茶したらたぶんそのまま気を失って倒れるんだろうななんて冷静に考えている自分もいる。

 

実際にセットをこなした後なんかはもう立っていられなくて隣に敷いてあるヨガマットにバタンと倒れ込む。いや横にならないと、本当におかしくなりそうだ。ジムじゃこんな無様な姿晒せない。これが宅トレの数少ないそして最大の利点。

 

特にブルガリアンスクワット。あれは本当にヤバい。片足ずつじっくりと地獄のような負荷がかかる。でも悲しいかな、めちゃくちゃ効果があるのも分かっているからやらないわけにはいかない。

 

ああ本当に脚トレの日は鬱だ。一番辛いのが最初のスクワットでバーベルを担ぐ前だ。脳みそはさあやるぞ!やらなきゃいけないんだ!ってガンガン命令を出してるのになぜか体が、手が、バーベルに向かって全然動かなくなる。あの時間が止まったかのような、永遠にも感じる数秒間。あれが本当に嫌い。

 

でもまあ今日もなんとか乗り切った。今はただ心地よい疲労感と明日来るであろう強烈な筋肉痛への恐怖だけ。

 

ゴリラを観たいなら【25/10/27】

最近ニュースとかを見ていてどうしても気になってしまうことがある。某政党の党首の眼。なんだかこう、ギラギラというか常にパキってるような尋常じゃない光を放っているように見えて正直ちょっと怖い。そしてその党首を熱狂的に支持している信者と呼ばれる人たちの異様な熱気も見ていてなんだか気持ち悪い。個人的な感想だけど。

 

まあそれはさておき。先週の土曜日生まれて初めてサッカーの試合をスタジアムに観に行ったんですよ。で、その感想。

なんだかもう観客の民度が低すぎて引いた。試合中聞こえてくるのは選手や審判に対する汚いヤジばかり。しかもそれを大の大人が周りに子供がいることもお構いなしに大声で叫んでいる。そしてその隣にいる子供も倣ってか平気で放送禁止用語みたいな言葉を口にしている始末。これは教育に悪すぎる。あんなところに子供を連れて行くもんじゃないね、と思った。

 

よく野球ファンとサッカーサポーターどっちがマナーが良いかみたいな話があるけど、少なくとも今回自分が見た限りではまだ野球場の方がマシな気がする。まあどっこいどっこいなのかもしれないけど。 でも常にスタジアム全体が「ウホウホ」とまるでゴリラの雄叫びのような威嚇的な声援に包まれているのはやっぱりサッカーの方だね。

 

なるほど。ゴリラを観たいならサッカー場に行くか動物園に行くかの二択。 ただ動物園のゴリラはちゃんと檻に入っているけどサッカー場のゴリラは檻に入っていない分危険性は増す。おまけに入場料も動物園より高いし試合時間っていう時間制限まである。これはもう完全に動物園の勝ち。

 

共存【25/10/26】

最近熊が出没して人を襲ったなんていうニュースを本当によく目にするようになった。そのたびに一部の動物愛護団体からは「熊を殺すな」という声が上がる。気持ちはまあ分からなくもない。熊からすれば自分たちの住処に人間が入ってきただけという言い分もあるだろう。

 

でも現実問題として人間の生活圏に出てきて実際に人に危害を加えるようになってしまった熊と安全に「共存」することなんて、本当に可能なんだろうか。一度人間の味や、人間の生活圏を覚えてしまった熊はなかなか山奥には戻らないとも聞く。そうなった場合やっぱり人間の安全を最優先に考えざるを得ないのではないか。人間が殺されるのは絶対に良くない。だから残念だけどそういう熊はやむを得ず駆除するしかない。それが、今のところの現実的な判断なのだろうと思う。

 

「共存」なんていう聞こえの良い理想を掲げるのは簡単だけど実際にどうすればそれを実現できるのか。明確な答えを持っている人はたぶんどこにもいないんだろう。

 

綺麗事だけじゃ命は守れない。

 

給油ランプ【25/10/25】

昨日の夜ちょっと遠出で高速道路を走った。こっちは真剣にある意味命がけで運転してるっていうのにあとでAppleWatchを見たら、なんと「睡眠中」と判定されていて心底ムカついてしまった。冗談じゃない。

 

とはいえ高速道路の運転自体は、やっぱり楽しい。単調な景色のようでいてぐんぐん進んでいく感覚。周りの車の流れに乗って自分だけの世界に入り込めるようなあの独特の没入感は、嫌いじゃない。

 

…なんて、最初は余裕をかましていたんだけど。 昨日は途中で本気で焦る羽目になった。 給油ランプが点灯した。よりによってサービスエリア(SA)を通り過ぎた直後に。そこから次のSAまでの距離がまあ遠いこと。生きた心地がしなかった。

 

こうなったらやることは一つ。徹底的なエコドライブだ。 大型トラックの後ろについて空気抵抗を減らしつつ時速85kmくらいをキープ。もちろんエアコンなんて贅沢品は即オフ。気休めにしかならないだろうけど音楽だって切って、ただただ祈るような気持ちでアクセルを一定に保つ。

 

なんとか次のSAに滑り込んで高いと分かっているガソリンを入れたわけだが。 後で冷静になって、車のタンク容量から逆算してみると、給油した時点でまだ7リットルちょいは残っていた計算になる。ってことは燃費を考えればあと100km弱は走れたってことか。 まあそれでも家までは到底たどり着かない距離だったわけだが。

 

今後は絶対にこんなギャンブルみたいなことはしない。高速に乗る前には、必ずガソリンを満タンにする。

そう固く誓ったそんなドライブだった。AppleWatchには僕のこの必死の思いはきっと届かない。

 

秋【25/10/24】

最近ジョギングをしているとどこからともなく金木犀のあの甘く強い香りが鼻をつんざくことがある。決して悪い気分じゃない。むしろこの香りを嗅ぐと「ああ、秋なんだな」という実感がふっと湧いてくる。まあ実際の気温的にはもう秋を通り越して片足どころか両足とも冬に突っ込んでいるような感じなんだけど。それでもこの香りだけは、確かに秋を告げている。

 

そういえば少し前まであぜ道なんかを真っ赤に染めていた彼岸花も気づけばもうとっくに枯れてその姿を消してしまった。スーパーの果物売り場だってそうだ。ついこの間まで一番目立つ場所に陣取っていた柿もそろそろその主役の座をリンゴやミカンに明け渡しいつの間にか隅っこの方に追いやられていくんだろう。いやもしかしたらもう食品売り場全体が鍋物の具材で埋め尽くされているかもしれない。

 

なんだかこう考えてみると今年の夏が異常に長かったというわけじゃなくて、単に「秋」という季節があまりにも短すぎるだけなのかもしれないな、と思う。金木犀が香り彼岸花が咲き柿が実る。そういう分かりやすい秋の風物詩が現れてからそれが過ぎ去るまでの期間が本当にあっという間だ。まるで駆け足で通り過ぎていくみたい。

 

そしてその短い秋が終われば次に待っているのは長い長い冬。 ここから来年の3月くらいまでずっと寒くて日も短い季節が続くんでしょ?ざっと計算しても約5ヶ月。なげーわ。

 

金木犀の甘い香りにほんの一瞬だけ秋を感じて少しだけ良い気分になったのも束の間、その先に待つ長い冬のことを思ってまた深いため息をついてしまう。 季節の移ろいは美しいけれどもう少しだけこの心地よい季節が長く続いてくれればいいのにな。

 

当たり前の話【25/10/23】

そういやタバコを吸う人ってさ、あの煙の匂いや味が好きだから吸ってるわけじゃん。 一方で禁煙している人やもともと吸わない人のほとんどはあの煙の匂いがシンプルに嫌いだと思うんだ。臭いと感じる。

 

だったらさなんで車の中でタバコを吸う時わざわざ窓を開けて吸うんだろうな? そんなに好きなら窓をきっちり閉めてその煙一滴残らず全部自分の肺の中にでも入れ込んでおけよ、って思う。 横を通りかかった歩行者が「うわ、くっせえな…」って思う時点で、それはもう完全にアウトだからね。周りに迷惑をかけていることになぜ気づかないのか。

バカだから気づかないのか。

 

そしてそういう周りの迷惑を顧みずに窓から煙を出すようなドライバーってたいていの場合、吸い終わった後の吸い殻も、そのまま窓からポイッと路上に捨てるよね。 本当に信じられない。地球はお前らのための灰皿じゃないんだよ。

 

こういう公共の場でのマナーのかけらもない自分勝手な行動を見ていると怒りを通り越して、なんだかもう人間として根本的に何かが欠けているんじゃないかとすら思えてくる。 自分の快楽のためなら、他人にどれだけ不快な思いをさせても街をどれだけ汚しても、何も感じない。その神経が理解できない。

 

こういう連中には本当に厳しい罰則が必要なんじゃないか。 いや罰則とかそういうレベルじゃなくてもっと根本的なところで社会から断固として拒絶されるべき存在。

そんなことを、タバコの煙が流れてきた車のナンバーを睨みつけながら思う。

 

白い息の発見【25/10/22】

水曜日。週の真ん中にして今日のメニューはなかなかにハード。

胸のトレーニングと、高強度のランニング。淡々とこなすべきことをこなす。

外はもうすっかり冷え込んでいる。Tシャツ一枚で外に出ると肌を刺すような空気の冷たさに思わず身震いする。それでも走り出す前のウォーミングアップで体を温め覚悟を決めて走り出した。

 

走り始めてしばらくすると冷たい空気が肺を満たしそれと引き換えに体の中から熱が生まれてくるのを感じる。そして吐き出す息がはっきりと白いことに気づく。ああもうそんな季節か、と。秋を通り越してもう冬の入り口に立っているようだ。

 

今日の高強度ランはいつもの坂道でのダッシュを8本。一本一本、全力で坂を駆け上がる。心臓がバクバクと鳴り脚は鉛のように重くなる。そして坂の頂上で立ち止まりハァハァと激しく肩で息をするたびに口からは大量の白い息がまるで蒸気機関車のように吐き出される。普段のジョギングではここまで大量の白い息が出ることはないと思う。

 

そのもくもくと立ち上る自分の白い息を眺めていたら、ふと考えが頭をよぎった。

「ああこれって、体の中の脂肪がガンガン燃えてエネルギーに変換されその最終生成物である二酸化炭素と水蒸気になって外に出ていってるのが可視化されてるんじゃないか?」と。 科学的に完全に正しいかどうかは分からない。でもなんだかそんな気がした。まるで自分の努力が目に見える形で報われているようなそんな感覚。そう考えたらこの地獄のようにキツい坂道ダッシュも、なんだか少しだけ報われるような気がして、モチベーションがぐっと上がった。白い息は脂肪燃焼の狼煙だ、なんて。

 

とはいえだ。 そんな精神的な高揚感とは裏腹に体の方は正直。トレーニングを終えた今かなり疲労困憊している。体が重いし頭も少しボーッとする。白い息を見て「脂肪が燃えてる!」なんて喜んでいたけれど同時に体は確実にエネルギーを使い果たし悲鳴を上げている。

ここで油断して栄養補給や休息を怠るとどうなるか。せっかく燃やした脂肪以上に大事な筋肉までが分解されてエネルギーにされてしまう。それでは元も子もない。トレーニングの効果を最大化するためにはその後のリカバリーまで含めて一つのセット。

 

だから今日はちゃんとご飯を食べてタンパク質もしっかり摂ってそして何より早く寝る。それが今の自分に課せられた重要なミッション。白い息の発見というささやかな喜びを胸にまずは体をしっかりと回復させよう。