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日記(のようなもの)を毎日更新!!

インターネッツ【26/1/28】

ふと昔の2ちゃんねるにあった「>>2がスレの運命を決める」という文化を思い出した。

1が立てたスレッドに対し二番目の書き込みが絶妙なアシストをするかあるいは冷ややかな一言で梯子を外すか。そこには顔も知らない誰かに場の流れを丸投げするあの頃のインターネット特有のいい加減でスリリングなジャズがあった。

 

今のSNSにも構造自体は残っている。だがそこに漂う空気は全くの別物。現代の二番目のリプライに求められているのは遊び心ではなく鋭利に研ぎ澄まされた正論の槍。

誰かの些細な失言に対し最初の一人が正義を掲げて槍を振るう。するとかつてはネタとして消費されていたはずの流れがSNSの大衆心理に晒される中で実弾へと変質し凄まじい勢いで対象を焼き尽くしていく。そこはもう冗談が冗談として成立しない本気の戦場だ。

 

そもそも今のおすすめばかりのタイムラインには>>2に相手にされず消えていったクソスレのようなノイズすら流れてこない。アルゴリズムによってすでに多くの反応を集め盛り上がることが約束された正解だけが編集されて届く。

確かに効率的ではある。時間を無駄にせず感情を揺さぶるコンテンツだけを摂取できる。けれどそれは誰かがお膳立てした盛り上がりをただ口を開けて消費しているだけに過ぎないのではないか。僕たちは自分で選んでいるようでいて実は巨大な計算式の上で踊らされているだけなのかもしれない。

 

結局懐かしんでいるのはバズりもインプレッションも関係なかった頃のtwitterのようなただ単に思ったことを呟くだけの場所なのだ。

「雨が降ってきた」「このお菓子がうまい」。 そんな誰の役にも立たず誰に届かなくてもいい独り言。そこには何者でもない名無しでいられる気楽さと評価を気にしない自由があった。

 

こうして書き連ねているこの日記だって要約してしまえば昔のネットは良かったというなんてことのないどこにでもある懐古趣味の文章。

でもそのなんてことのなさこそが今のネットが切り捨ててしまった贅沢な余白なのかもしれない。強い言葉も教訓も新しい情報もない。ただ自分の思考がそのままそこに置いてある。

そんな古き良きインターネットのようなただの文章が今は一番心地よく感じる。

 

数十億の親戚【26/1/27】

タンパク質補給のためにヨーグルトを口に運ぶ。そのスプーンの上に乗っている白い塊を見つめながらふと奇妙な感覚に襲われた。ここに含まれる数十億の菌とそれを食べている僕。大きさも構造も違うけれど生命の歴史という絵巻物を15億年以上巻き戻せば、僕らは確かに同じ共通の祖先から枝分かれした親戚同士なのだ。

 

調べてみるとその分岐点はあまりにドラマチックで少しだけ皮肉。太古の昔光合成をする細菌を取り込み太陽光というフリーエネルギーを手に入れた勝ち組が植物になった。 一方でそれを取り込めなかった負け組はエネルギーを確保するために他者を捕食し動き回るしかなかった。それが動物の始まりだ。つまりジムで重いバーベルを持ち上げ筋肉を動かしているのは遠い先祖が光合成の能力を得られなかった結果のあがきだとも言える。動かなければ死ぬ。その呪いは数十億年経った今もDNAに刻まれている。

 

そして進化の話で最も背筋が凍るのはがん細胞の正体だ。あれは外部からの侵略者ではなく多細胞生物としての調和という契約を破棄し「俺だけ増えればいい」という単細胞生物時代の野蛮な本能を取り戻した先祖返りなのだという。

宿主が死んでも増え続けるヒーラ細胞のように彼らは生命のシステムにおけるバグでありながらある意味で最も純粋な生への執着を体現しているのかもしれない。

 

蓋を開けたヨーグルトの中にいる細菌は40億年前に分かれた遠い祖父のような存在だ。 科学的には間違いなく親戚。 けれど彼らの小さな体には赤い血なんて一滴も流れていない。

血が繋がっているのに血が流れていない。

僕らを結びつけているのは温かい液体ではなくDNAという乾いた情報の螺旋だけ。そんな矛盾を飲み込みながらスプーンを口に運ぶ。

壮大な進化の果てにこうして親戚同士で共食いをしている今の自分が少しだけ滑稽でそして孤独な存在に思えた。

 

走るデイトレーダー【26/1/26】

最近車を運転していて対向車とすれ違うたびにぎょっとすることが増えた。

運転席の様子が明らかに異常。ハンドルの奥ダッシュボードの上にまるでバリケードのように電子機器が並んでいる車をよく見かける。正面に大きなタブレットその左右を固めるようにスマートフォンが2台3台。さらに元々ついているカーナビの画面も光っている。

ここは証券会社のディーリングルームかあるいはSF映画に出てくる宇宙船のコックピットか。そんな走るデイトレーダーのような車が決して珍しくなくなっている。

 

百歩譲ってそれら全てがナビゲーション用途ならまだ理解できなくもない。しかしどう見ても用途はそれだけではないだろう。配達アプリを複数同時に監視しているのか動画を流し見しているのかあるいは本当に相場をチェックしているのか。いずれにせよドライバーの視線と意識は道路ではなく目の前に広がる情報の壁に分散されている。

昔ポケモンGOが社会現象になった頃運転中のながらスマホによる悲惨な事故が多発し厳罰化が進んだ。けれど今のこの状況はあの頃のリスクを遥かに超えている気がしてならない。1つの画面をチラ見するのと3つも4つもの画面を管理しながら運転するのでは脳にかかる負荷の次元が違う。

 

時速60kmで走る1トン以上の鉄の塊を操作している最中に複数のアプリからの通知に反応する。これは人間が持つ認知能力の限界を超えた行為。

彼らにとってフロントガラス越しの歩行者や対向車はディスプレイの背景程度にしか認識されていないのかもしれない。事故の元なんて生優しい言葉では済まない。

走る凶器がドライバーのよそ見によって自動誘導ミサイルのように突っ込んでくる恐怖。便利さを追求した結果安全という最も基本的なインフラを犠牲にしているとしたらこれほど愚かなことはない。 

 

事実上の宣戦布告【26/1/25】

日本の政治制度についてふと深く考えを巡らせていた。世間では「解散は税金の無駄遣いだ」「野党は解散権を縛るべきだ」という声が相変わらず大きい。

しかし本当にそうだろうか。イギリスの失敗例がすべてを物語っている。かつて彼らが解散権を制限し議会が自ら解散を決められないようにした結果何が起きたか。決められない政治、動けない政府、まさにゾンビ議会の惨状。

あれを日本で繰り返す必要はない。解散権は独裁を防ぎ、政治的閉塞感を打破してリセットボタンを押すための必要経費だ。もしそれが無駄な解散だというなら国民が選挙でその政権を落とせばいいだけの話であり権利そのものを奪うのは自殺行為に近い。

 

一方で今の二院制、特に参議院の在り方にはメスを入れるべきだ。衆議院が常に解散の緊張感に晒されているのに参議院が6年も不戦勝で安住できるのは長すぎる。

「一票の格差」を気にするあまり無理やり地方の県をくっつける「合区」などという小手先の策を弄するくらいならいっそ参議院の任期を4年に短縮し2年ごとに半数を改選して民意を確認するサイクルにすべきではないか。スピード感だけを上げ衆議院とは違う角度から民意を吸い上げる。それが現実的な落とし所だろう。

 

しかし制度以上に根が深くそして恐ろしいのは世代間の格差とそれが見えなくなっている現状。

今の日本で「消費税をゼロにする」と叫ぶポピュリズムが横行しているが私にはそれが現役世代への事実上の「宣戦布告」にしか聞こえない。リタイアした高齢層は所得税は関係なく消費税が主な負担だから減税を諸手を挙げて喜ぶ。しかしその財源を赤字国債で賄えばどうなるか。日本の信用リスクが意識されいずれ金利が上がる。金利が上がれば巨額の住宅ローンを抱える現役世代は即死する。返済額が跳ね上がり新しい家は買えず不動産市場は冷え込み街の新陳代謝も止まる。結果として残るのはボロボロになったインフラと価値の下がった家そして返済不能のローンだけだ。

 

恐ろしいのはこの「負のドミノ倒し」を理解している人があまりに少なすぎることだ。 目先の数百円、数千円の減税という飴玉に目を奪われ将来の数千万円の損失(金利上昇リスク)に気づかない。この何もわかっていない層の数に我々現役世代は圧倒されている。民主主義のコストとして選挙費用を払うのは構わない。だが他者の無知によって自分たちの生活が破壊される未来をコストとして支払わされるのはあまりに理不尽で耐え難い。

政治をリセットする権利(解散権)は守るべきだがその権利を行使する側のリテラシーがリセットされない限りこの国は静かにしかし確実に老いていく。

 

バブルの幻影か【26/1/24】

金利の話を突き詰めていくとどうしても日本経済の構造的な弱さにぶち当たってしまう。かつてバブルの頃、定期預金に100万円を預けておくだけで数年後には数万円の利息がついたという話は今の僕たちからすればまるで桃源郷のお伽話のように聞こえる。

確かに今少しずつ金利は上がっている。けれどこの2026年の金利上昇はあの頃のようなイケイケな成長の果実ではない。物価高と円安という外圧に背中を蹴飛ばされ日銀が渋々アクセルを踏んだ結果の悪い金利上昇のような気がしてならない。

 

世界を見渡せば巨大な綱引きが行われている。日銀はようやくマイナス金利の世界から脱却し普通の国に戻ろうとしているが海の向こうではトランプ大統領がFRBに対してもっと金利を下げて景気を爆発させろと無茶振りを続けている。

このチグハグなパワーバランスの真ん中で行き場を失った日本円だけがひとり負けを喫し1ドル150円から160円という地盤沈下を起こしているのが現実。本来なら130円くらいが適正でそこまで戻ればガソリン代も電気代も下がって生活は楽になるはずだ。けれど今の日本には通貨をそこまで押し戻すだけの稼ぐ力が不足している。

 

ニュースでは5%の賃上げなんて景気のいい数字が踊るけれど現場の空気は少し違う。 利益が出すぎて還元しているのではなく上げないと人が来ないから倒産覚悟で上げざるを得ないという悲鳴に近い事情が透けて見える。そしてついに最後の聖域だった家賃までもが動き出した。法律や慣習で守られ長らく上がることのなかった固定費が上がり始めたことの意味は重い。それは長く浸かっていたデフレというぬるま湯が完全に排水され寒風吹き荒れるインフレの荒野に放り出されたことを意味する。

 

金利がつくのは嬉しい反面それは現金の価値が目減りするスピードに追いつこうとする必死の抵抗でもある。国や会社に守ってもらう時代は終わり自分で自分の資産と生活を守らなければならない時代が2026年にして本格的に到来したのだ。

じわじわと上がる金利の数字を見つめながらこの新しいゲームのルールにどう適応していくべきか腰の痛みを堪えつつ深く考えさせられる。

 

魔女のサンダガ【26/1/23】

冬の寒さが本気を出してくると毎年のようにこの儀式がやってくる。

腰痛。

それも重たいものを持ち上げたとか激しい運動をしたとかそんな名誉ある負傷ではない。きっかけはたった一回のくしゃみ。生理現象として空気を吐き出した瞬間、腰の深層で何かが弾け鋭い電流が走った。欧米で魔女の一撃と呼ばれる急性腰痛症だがまさに目に見えない悪魔に背後からナイフで刺されたような衝撃。

 

今の状態は悲惨の一言に尽きる。歩けないことはない。けれど上半身を地面に対して垂直に立てることができない。常に前傾姿勢ひらがなの「く」の字で固まったままそろりそろりと移動するしかない。さらに悪いことに今回は痛みだけでは済まない。 腰から尻そして左足の指先にかけて嫌なピリピリとした痺れが走っている。坐骨神経が圧迫されているサイン。神経という見えない配線がショートして下半身の制御システムにエラーを吐き出し続けている感覚。これが地味にしかし確実にメンタルを削ってくる。

 

専用の医療用コルセットが見当たらないので苦肉の策として革製のトレーニングベルトを巻いている。本来は高重量のスクワットやデッドリフトで腹圧を高め怪我を防ぐための攻めの装備。それをくしゃみで壊れた腰を守るための守りの装備として日常生活で巻いている自分の姿が情けない。分厚い革の圧迫感だけが今の頼りない腰を物理的に支えてくれている。

 

これといった解決策がないのが一番の絶望。

整形外科に行っても湿布と痛み止めを渡されるだけで劇的に治る魔法はない。安静にと言われても生活がある以上ずっと寝ているわけにもいかない。人間が四足歩行から二足歩行に進化した時点で腰というパーツには構造的な無理がかかっているという説があるがまさにその設計ミスを呪いたくなる。

根本的な解決が見えないままただ嵐が過ぎ去るのを待つように痛みが引くのを待つしかない日々。革ベルトで腹を締め上げながら次のくしゃみが出ないことを祈る。

 

飼い殺し【26/1/22】

阪神タイガースの佐藤輝明選手がメジャー移籍を視野に入れたポスティング交渉のために契約更改を越年したというニュース。球団としては主力を手放したくないしファンとしては寂しい。その感情は痛いほどわかるが一人のビジネスパーソンとしてそしてアスリートとしての彼の立場をシミュレーションした時彼が行きたいと主張するのはあまりに正当で合理的だと言わざるを得ない。

 

最大の理由は残酷なまでの時間の価値。彼は現在26歳。今海を渡ればフィジカルの全盛期をメジャーという最高峰の舞台で迎えられる。

しかし球団の保有権が切れる海外FA権の取得を待っていれば彼は30歳を超えてしまう。 今のMLBのトレンドにおいて「20代中盤」と「30歳過ぎ」の野手では市場価値が天と地ほど違う。契約年数そして生涯賃金においてその差は数十億円下手をすればそれ以上になるだろう。

若いうちに行かせてやりたいというのは単なる人情論ではなく彼の人生設計における極めてシビアな経済的判断なのだ。

 

この問題を深掘りするとNPBの構造的な歪みに行き着く。職業選択の自由が保障されている現代日本においてドラフトで球団を選べずに入団しその後9年間(大卒でも7~8年)も海外移籍を制限される今のルールは法的に見ても「限りなく黒に近いグレー」ではないだろうか。

世界的な視点で見ればこれは労働者の権利を不当に拘束していると取られても仕方がない。選手会も独占禁止法違反の可能性を指摘しているが旧態依然とした組織の論理で若者の可能性が飼い殺しにされる現状には疑問しか残らない。

 

そして私が何より危機感を覚えるのはNPBという組織の「遅さ」と「閉鎖性」だ。いまだに外国人枠を設けて日本人選手を過剰に保護しているが本来であれば門戸を開放しアジア全体を巻き込んだ「MLBに対抗できる経済圏」を作るべきではないか。 隣の韓国リーグを見てほしい。 彼らはロボット審判をいち早く1軍に導入し試合のテンポアップやエンタメ性の向上に貪欲。意思決定のスピードにおいて12球団の合議制で何も決まらないNPBとは雲泥の差がある。ルールも環境も世界基準に近づけているKBOの方が外国人選手にとってメジャーへのステップアップとして魅力的に映る日も近いかもしれない。

 

実力はまだ日本が上だとあぐらをかいている間にシステムと魅力で追い抜かれる。

佐藤選手のポスティング問題は単なる一選手のわがままではない。変化を拒み既得権益と古い慣習にしがみつくNPBに対する強烈な警鐘。

いつまでも鎖国をしている場合ではない。選手が人生をかけて最高峰を目指すようにリーグそのものも世界を見据えて変わらなければ日本の野球はただの「ローカルな娯楽」になってしまうだろう。