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今や社会の余白を削り取る重荷【26/2/17】

ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪が開催されているが驚くほど盛り上がっていない。冬の大会特有の寒々しさを差し引いても人々の関心はかつてないほどに薄れているように感じる。その理由は単なる飽きではなく五輪という存在そのものが日常からあまりに遠い場所へ行ってしまったからではないか。

 

冬季五輪の競技を眺めているとふと思う。これは才能の競い合いである以上に膨大な資本の競い合いなのではないかと。

ボブスレー、スキー、フィギュアスケート……。

どれも並外れた才能が必要なのは言うまでもないがそれ以上に専用の施設や高価な道具そして海外遠征を支える莫大な資金がなければスタートラインに立つことすら叶わない。才能があっても金がないとできない。そんなスポーツの格差を見せつけられても大多数の庶民にとってそれはもはや自分たちの地続きにある物語ではない。

 

さらにルールの複雑化も拍車をかけている。回転数や芸術点あるいはミリ単位のタイムを競う緻密な判定は玄人には興味深くてもライトな視聴者にとってはなぜ今の人が勝ったのかが直感的に理解しにくい。

 

そこに時差の壁とテレビというメディアそのものからの離脱が重なる。スマホで断片的な速報を眺めるだけの僕たちにとって時間かけてじっくり競技を観るという体験はもはや贅沢というよりはコストになってしまった。

 

結局IOCも各国もこの仕組みが限界に来ていることを薄々感じているはず。けれど膨大に膨れ上がった利権やサンクコストを前に抜本的なテコ入れは行われずだらだらと同じ形式が繰り返されていく。一部の特権階級が楽しむ道楽のために街を改造し莫大な公金を投じることへの違和感。かつては国家の威信や夢の象徴だった五輪が今や社会の余白を削り取る重荷のようにさえ見えてくる。

 

氷の上の華やかな舞も雪原を切り裂くスピードもそれ自体は美しい。けれどその美しさが選ばれた富裕層だけの特権の上に成立していることが露骨に見えてしまう2026年の今、僕たちはもう以前のように純粋な熱狂を持って画面を眺めることはできない。

静かに流れる五輪のニュースをBGMにまた一つ時代が変わってしまったことを実感していた。

 

腐ったミカン【26/2/16】

日曜日わけあって東京都町田市へ足を運んだ。町田駅周辺は休日らしい凄まじい人の数で溢れ返っていた。だがその賑わい以上に僕の意識を逆撫でしたのはこの街の二輪事情のあまりの酷さだった。

 

まず自転車。赤信号を平然と無視しあろうことか車道の右折レーンにまで陣取っている。交通ルールという概念がこの街では消失してしまったのかと疑いたくなるような、無謀な運転のオンパレード。さらに追い打ちをかけるように全時代的な爆音を撒き散らすバイクの集団が複数台で連なって走行している。住宅街も近い駅前であのような騒音を立てて走ることに彼らは何の恥じらいも感じないのだろうか。

 

「周りもやっているから、自分もいいだろう」

そんな甘い考えが街全体の空気を淀ませている。かつて教育現場で使われた言葉だが、まさに腐ったミカンの論理。一個の腐ったミカンが箱全体をダメにするように一部の無法者が放置されることで街の倫理観そのものが崩壊していく。彼らは群れることで全能感を得ているのかもしれないが端から見ればそれは単なる公共心の欠如という名の醜態でしかない。

 

そういえば昨日の町田市は市議会議員選挙と市長選挙の投票日だったらしい。投票所へ向かう人々があの騒音や無法な自転車の群れをどんな思いで見つめていたのか。 街を覆うこのクソ過ぎる現状を変えたいという願いがあの一票一票に込められていたと信じたい。

 

自民党の圧倒的な勝利で終わった衆院選のような超安定もいいが地方自治の現場ではまず目の前の日常の秩序をどう取り戻すかが問われている。 新しい市長や議員たちがこの街の呼吸を整え誰もが安心して歩ける道を取り戻してくれることを切に願う。

ま、知らん街だからどうでもいいか。

 

一夜明け町田の喧騒を離れて振り返る。ルールを守る者が損をせず無法者が正当に排除される。そんな当たり前の社会になってほしい。

 

自業自得の結末【26/2/15】

日曜日は予定が立て込んでいて日記を書く余裕がないだろうと思っていた。

案の定気づけばもう夜だ。

慌ただしく過ぎ去った今日という一日の手触りを確かめる前に金曜日の夜に置き去りにしてきたあの光景を書き留めておきたくなった。

 

あの日『銀魂』を観た。

虚構の世界で暴れ回る侍たちの姿に心を踊らせその余韻を抱えたまま深夜のすき家へと滑り込んだ。

そこで耳にしたのはあまりに低俗でしかし寒気がするほどリアルな犯罪の告白だった。

 

「俺、税金なんて払ってないよ」

隣の席の若い集団が誇らしげに脱税の手口を語り合っていた。

申告を誤魔化しシステムを出し抜いているつもりでいる彼らの無邪気な万能感。

それはかつての給付金詐欺や現代の闇に潜む歪んだ構造の断片を見せつけられたようだった。

 

公共の場で牛丼を啜りながら犯罪を自慢するその脇の甘さと底の浅さ。

法という名の網を舐めきっている彼らにとってこの国は単なる食い扶持でしかないのだろう。

 

「いつか、報いを受けることになる」

冷めた牛丼を口に運びながらただ彼らの未来に待ち受ける必然の破滅を予見していた。

真面目に生き納税という義務を果たす者が馬鹿を見るような社会であってはならない。

彼らがいつか現実という名の重い請求書を受け取るその時初めて自分の無知と傲慢を呪うことになるのだろう。

 

それは同情に値しない自業自得の結末だ。

 

 

1時間の空白【26/2/14】

今日は一日、ぐだーっと寝っ転がって過ごしていた。

身体を動かしていないはずなのにそれでも腹は容赦なく減る。重い腰を上げる代わりに枕元の文明の利器を手に取った。スマートフォン。

今の時代これを使って電話をかけるなんて野暮なことはしない。ユビキタスの恩恵を最大限に享受するつまりデリバリーの注文。

 

マクドナルドの公式アプリを開き手際よく注文を済ませる。あとは待つだけ。なんと楽な時代だろうか。

到着予定は大体30分後。アニメを1話観ていればちょうど熱々のバーガーが届く計算。 画面の中の物語に没頭し期待に胸と腹を膨らませながら30分を過ごした。

 

1話観終えてアプリを確認すると画面にはまだ「準備中」の文字。まあ忙しいんだろうと自分に言い聞かせもう1話観て待つことにした。さらに30分。合計1時間が経過しアニメの余韻と共にスマホを覗き込んだ僕を待っていたのは、想だにしない結末だった。

 

「注文はキャンセルされました」

無機質な通知が1時間を一瞬で無に帰した。理由はわからない。ライダーが見つからなかったのか店舗がパンクしたのか。確かなのは1時間待った末に手元には何もなくただ腹の虫が虚しく鳴り響いているという現実だけ。

 

どこにいてもいつでも繋がるユビキタス社会。指先一つでお膳立てされるはずだった幸福はシステムの不具合や現場の都合というデジタルでは制御しきれない穴に吸い込まれて消えてしまった。文明の利器を使いこなしているつもりが実はその気まぐれに生殺与奪の権を握られているだけなのではないか。

 

お腹は減ったままだ。最初から自分の足で買いに行っていれば今頃はとっくに満腹で再び夢の中にいたはずなのに。便利さに依存しすぎた代償を今この酷い空腹感とともに支払っている。結局最後は自分の筋肉を動かしてコンビニまで走るしかないのか。画面の中で完結するはずだった僕の休日は皮肉にも最もアナログで原始的な自力での調達という幕切れを迎えようとしていた。

 

精神の錬金術【26/2/13】

天気が良いせいかあるいは気温が緩んで気が緩んだのか。最近歩きたばこをしている輩が妙に目につく。前を歩く奴が吐き出す煙がこちらの顔を直撃するたびに胸の奥でドス黒いイライラが煮えくり返る。

「なぜ指定の場所で吸えないのか」「なぜ他人の健康を平気で害せるのか」。

正論を脳内で並べ立てたところで彼らの歩みが止まるわけでも空気が清浄になるわけでもない。このままではただ不快な思いをして損をするだけだ。

 

このイライラをどう抑えるべきか。2026年の冬出した結論は驚くほど冷徹で合理的なものだ。

「JT(日本たばこ産業)の株を買う」。 ただそれだけだ。

 

あいつらがマナーを無視して紫煙を燻らせるたびに心の中でこう呟くことにする。

「いいぞもっと吸え。お前らが肺を汚してまで消費してくれるおかげで口座には配当金が振り込まれるんだから」 そう思った瞬間あれほど忌まわしかった煙がわずかながら「金の匂い」を帯び始める。 不快な存在を正そうとするエネルギーを自分の資産を潤すためのエネルギーへと転換する。これはもはや精神の錬金術。

日本という国はそう簡単には変わらない。マナーの悪い人間も絶滅することはないだろう。他人を変えることにリソースを割くのは不毛な時間の浪費でしかない。結局自分が変わるしかないのだ。それも道徳的な成熟を目指すのではなく相手の非礼を自分の利益に結びつけるという極めて現実的で少しだけ意地の悪い方法で。

 

高配当株として知られるJTの株主になる。それは歩きたばこを見かけるたびに湧き上がる怒りを「まあ利益に貢献してくれている顧客だしな」という寛容(あるいは冷笑)へと変えてくれる。 被害者の椅子を降りて、投資家の視点に立つ。そう決めた瞬間、世界は少しだけ呼吸しやすくなった気がした。

 

もちろん健康被害がなくなるわけではないしマナー違反が許されるわけでもない。けれど怒りで自分の心まで汚されるよりは配当利回りという実益を手にするほうが2026年を生き抜く戦略としては遥かに正しい。

次に煙を浴びせられた時はイライラする代わりに最新の株価をチェックすることにしよう。

 

三寒四温に抗う【26/2/12】

三寒四温とはよく言ったもの。春の陽気が顔を出したかと思えば翌日には冬が厳しく揺り戻してくる。この激しい寒暖差に自律神経も悲鳴を上げる一歩手前。

「このままではいけない身体を内側から温めて整えなければ」そう思い立ち湯船に浸かることにしたのだがそこで文字通りの地獄を見た。

 

結論から言えば48℃という設定はあまりに熱すぎた。冷え切った身体に喝を入れるつもりがそれはもはや入浴ではなく自分という個体をボイルする行為に等しかった。案の定激しく逆上せ命からがら脱衣所へと這い出たところでそのまま意識を失うように倒れ込んでしまった。

 

どれくらいの時間が経っただろうか。冷たい床の感触で目が覚めた時、真っ先に思ったのはなぜこんな汚い場所で倒れてしまったんだというあまりに情けない後悔だった。せっかく湯船で汚れを落としたはずなのに埃っぽい脱衣所の床と密着したことですべてが台無し。またシャワーを浴び直しじゃないか…… 意識が朦朧とする中で抱いたその感想は我ながらひどく滑稽でどこか他人事のようだった。

 

自律神経を整えるために必要なのは極端な刺激ではない。40℃前後のぬるま湯でゆっくりと副交感神経を優位にすることだ。それなのに暴力的な熱さで強引に解決しようとして逆に身体を危機に晒してしまった。三寒四温という自然の揺らぎに抗おうとして自らの手でそれ以上の混乱を招く。適度という言葉の重みを僕は脱衣所の冷たい床の上で文字通り身をもって学んだ。

 

反省している。48℃の湯船は冬の寒さへの復讐にはなっても健康への近道にはならない。今夜はもう熱いお湯のことは忘れて静かに眠ろう。次に浴室のドアを開ける時は、もっと自分をいたわる温度で静かな和解を試みたい。

 

微睡みの中で見る夢と画面の向こう側に流れるYouTube【26/2/11】

今日は一歩も外に出なかった。

微睡みの中で見る夢と画面の向こう側に流れるYouTubeを何度も往復しているうちに建国記念日の祝日は音もなく過ぎ去っていった。

気づけば明日はもう木曜日。あと二回、平日のルーティンをこなせば再び土日がやってくる。時間の流れがあまりに乱暴。

 

考えてみれば2月という月は他の月に比べて日数が1割も少ない。今週末を越えればカレンダーはもう折り返し地点だ。つい先日まで正月だ新年だと騒いでいたはずなのにあれは幻だったのか。節分の恵方巻を食べることもなく季節を象徴する行事の入り口をことごとく見落として通り過ぎている。日本の文化を肌で感じることもなくただ日付の数字だけを消化している感覚。

 

3月になればひな祭りがやってくるがそれもまた直接関係のない物語。季節を彩るイベントが自分の外側を猛スピードで通り過ぎていく。そのたびに人生このままでいいのかという答えのない問いが胸の奥に澱のように溜まっていく。

 

特別なことをしたいわけじゃない。けれど何かに心を動かされることもなくただデジタルな情報と眠りの間に人生を挟み込んで消費している現実にふと足元が覚束なくなる。 明日は平日。また身体という物理的な重りを引きずって社会という箱の中へ戻らなければならない。

 

どうしたもんかなこの人生。そんな独り言をキーボードに託しながら2月という短い季節のそのさらに短い夜が更けていく。せめて明日はYouTubeの画面の中ではなく現実の空の色を一回くらいは自分の目で確かめようと思う。