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流行語大賞、使った覚えも聞いた覚えもない【24/12/3】

2024年の流行語大賞が「ふてほど」だという発表を聞き、思わず耳を疑った。「ふてほど?」――使った覚えも聞いた覚えもない。これは一体どこの世界で流行していたのだろう。発表された瞬間、私の頭に浮かんだのは、「嘘つくのやめてもらっていいですか?」という切実な思いだった。

 

一応、この賞にはそれなりの権威と歴史がある。「流行語大賞」として、未来に残る記録だ。だからこそ問題は深刻だ。「ふてほど」が「2024年を象徴する言葉」として未来永劫残ると考えると、もはや歴史の改ざんとしか思えない。この言葉を知らない人が圧倒的多数であることを考えると選考基準そのものに疑問を抱かずにはいられない。

 

今年の世相を振り返れば、もっと妥当な候補はたくさんあったはずだ。例えば、大谷翔平選手の「50-50」。日本中が彼の偉業に沸いた瞬間があった。また、パリオリンピックに関連する言葉や、ドラマ「地面師たち」の名セリフなど、共感を呼ぶ言葉が他にもあったではないか。それらを差し置いて「ふてほど」が選ばれるとはどんな審査過程だったのだろう。

 

「ふてほど」は、確かに一部のドラマで話題になったらしい。だが、それはあくまでドラマの中の話だ。日常会話で聞いた記憶は皆無だし周囲で使っている人も見たことがない。選考委員の好みで選ばれているのではないかと疑いたくなる。

 

そんな流行語大賞に毎年振り回されながら「どうせ今年の漢字は『金』なんでしょ?」と思わず皮肉を言いたくなる自分がいる。金メダルや経済の話題、誰もが納得できる無難な選択――新鮮味はないけれど「ふてほど」よりはよほど理解できる。

 

流行語大賞は、本来その年の出来事や社会の動きを反映する「記録」としての意味を持つはずだ。だが「ふてほど」が選ばれたことで記録としての価値が揺らいでいるように感じる。これが「未来に伝える2024年の象徴」だと言われたら思わず「本当ですか?」と問い直したくなる。

 

記録は未来に残る。だからこそ、もっと現実に即した選考が求められるべきではないか。少なくとも「使った覚えも聞いた覚えもない言葉」で一年を締めくくるのは勘弁してほしいと、強く願う。