「収斂進化」が面白い。異なる生物が似た環境に適応し、同じような形に進化する現象だ。例えば「カニ化」。ヤドカリだったタラバガニがカニのような形に進化したのも、カニの形が都合よかったからだろう。
では犬と猫の進化はどうだろう。犬はオオカミから進化し人間に懐くようになった。狩りを助け、番犬として働き、忠誠心を象徴するパートナーになった。一方、猫はどうか。長い時間を人間と過ごしてきたが、その性質は野生の猫とほとんど変わらない。むしろ「人間が猫に仕えている」と思わせる瞬間すらある。猫にはそもそも進化する必要がなかったのだろうか。
ところが最近犬までもが「猫化」しているように見える。ソファで丸くなり、飼い主に甘え気ままに過ごす犬の姿はどこか猫のようだ。そして目を向けると、人間にも同じ現象が起きている。「自分のペースを大切に」「無理せず気楽に」と、猫のような自由さを求める風潮が広がっている気がする。
ここで思う。「人類猫化計画」が進行しているのではないか、と。それは誰が仕組んだものなのか。猫自身か、それとも自然の摂理か。猫はただそこにいるだけ。それでも、その自由で気ままな生き方は人間に「こうありたい」と思わせる魅力を持っている。
もしかすると、猫こそ進化の最終形態だったのかもしれない。そして、知らず知らずのうちに私たちも猫を目指しているのだろう。「人類猫化計画」。それが猫の仕組んだものかどうかは分からないが、こたつで猫と丸くなっているとその計画も悪くないと思えてくる。