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映画の予告映像とコントロールの恐怖【24/12/07】

映画を観るとき、上映時間が始まってすぐ本編が始まるわけではない。その間に予告映像が流れる。ここ1年で映画館に通う機会が増えた私はこの時間を無駄にせず楽しんでいた。ところがふ、と気づいてしまった。「予告映像って観る映画によって内容が違うな」と。

 

アニメ映画を観に来たときは新作アニメの予告ばかりが流れ、洋画を観ると洋画の予告が続く。季節ごとの大衆娯楽映画ならその時期の話題作が中心になる。つまり「この観客が興味を持ちそうな映画」を予測して見せているわけだ。親切といえば親切だがなんだか「見せられている」という感覚がぬぐえない。

 

これって、スマホやSNSの広告と同じじゃないか?普段見ている情報や検索履歴をもとに「あなただけに合わせた広告」が流れてくる。それと映画館の予告映像、やってることは大差ない。ただ、スマホは個人のデータを徹底的に掘り下げている分もっと精度が高いだけだ。

 

正直、この仕組みそのものが悪いとは思わない。興味がある映画の予告なら楽しめるし新しい映画の情報を得るきっかけにもなる。でも、これが映画以外の場面で応用されたら?たとえば、政治的なメッセージや社会的な意見の拡散に使われたらどうだろう?

 

プロパガンダという言葉は昔からあるが、ターゲティング技術と組み合わさればその威力はかつての比ではない。私たちは、見たい情報ではなく「見せられるべき情報」を見せられる。それが私たちの考え方や行動にどれだけ影響を与えるのか、想像するだけで怖い。

 

とはいえこれは新しい現象ではない。昔から人々は巧みに「見せられる情報」によって動かされてきた。映画館の予告映像も古い新聞の見出しも、どれも「こんなものを見せれば、人はこう考えるだろう」という意図が込められていたはずだ。違うのは、その精度と拡散力が段違いに高くなったことだ。

 

結局、私たちはいつの時代もどこかで「見せられている」のだろう。ただ、かつては気づかなかったことに気づいてしまっただけの話だ。そしてその技術が発展しもう止められないところまで来ている。それが一番怖い。でも、どうせなら映画館では楽しい予告だけを見せてほしい。コントロールされているにしても「知らないフリ」くらいさせてくれるのがせめてもの親切じゃないだろうか。