新聞を読んでいると紙面ごとの特色が見えてくる。同じ出来事でもどの部分を強調するか、何を省略するかが紙面によって違う。それ自体は興味深いが最近ふと思う。「価格に見合った情報を本当に提供しているのだろうか?」と。
新聞代は安くない。月々数千円、複数紙を取ればその倍以上の出費になる。サブスクで家計が圧迫されるという話がよく聞かれるが、新聞代もまた見過ごせない出費だ。とはいえ、ここで言いたいのは価格のことではない。問題はその価格に見合うだけの「情報の質」だ。
特に気になるのは「読者の声」の扱いだ。よく新聞に掲載される「読者の声」は、当然ながら選別されている。それがまるで社会全体の意見であるかのように扱われると、違和感を覚えることがある。この選別された声が世論を誘導する材料として使われているのではないか、と感じる瞬間が少なくない。
新聞が中立的な情報を提供することはもちろん重要だが、それ以上に「どの意見を載せるか」による影響力も無視できない。特定の視点に偏った選別が行われると、それは事実の伝達というより読者の考え方を操作する方向に近づいてしまう。そこに透明性がない限りどんなに価格を下げても「価値」は感じられないだろう。
読者が新聞に求めるのは、価格以上に「信頼」だと思う。正確な情報、偏りの少ない視点、そして多様な意見を届ける努力。それがなされていないと感じる瞬間、新聞はただの「高い紙束」になってしまう。
軽減税率で優遇されている新聞が、衣食住よりも特別扱いされる理由を考えるとき「それに見合う価値を提供しているのか?」という問いが浮かぶ。世論誘導を疑われるような内容ではなく、本当に多面的で公平な情報を提供する努力が必要ではないだろうか。
価格が問題なのではない。価格に見合った情報と、信頼に応える姿勢が問われている。