夜の静寂が好き。とりわけ、その静けさの中に紛れ込む環境音が好き。車のエンジン音や遠くで響くバイクの音、どこかの家から漏れ聞こえる笑い声やテレビの音。そういう日常の断片が静寂の中にぽつりぽつりと現れる感じがたまらなく好き。
自分は元来こういう「生活感」が好きなのかもしれない。他人の生活を覗き見るというほどではない。ただ、漏れ出す程度の日常感が心地いい。それを感じる度自分もまた誰かの生活の中で息をしているんだと思えるような気がする。
でも、そんな感覚がどんどん薄れてきている。例えば、夜中のファミレス。かつてはいつでも人が行き交い深夜の生活感が漂う場所だったけれど、今ではほとんどの店が深夜営業をやめてしまった。その理由は時代の流れだろう。効率化や働き方改革、安全のためといった理由が挙げられるけれど、深夜に感じられた「他人の生活感」は確実に遠くなっている。
夜の住宅街を歩くことも、今では怪しい行動に見られかねない。他人の日常の断片を感じるために静寂の中を歩くだけなのに、それすらも時代の流れに背く行為のように思えてくる。他人の生活感を愛でることが、いつの間にか社会から切り離される感覚を覚えさせるようになった。
私たちは効率化や安全を優先する一方で、こうしたささやかなつながりをどこかに置き忘れているのかもしれない。他人の生活感に触れることで、自分もその延長線上にいると感じられる。そんな些細な喜びが、少しずつ失われている。
夜の静寂の中に聞こえてくる音――それが完全に消え去る日が来ないことを願いながら、今日もまた静かな夜に耳を澄ませる。