ジムに行った。三日連続だ。我ながら頑張っている方だと思う。そう思わないと続かないのだ。ちょっとでも「今日はいいか」と気を抜けば、あっという間にフェードアウトしてしまう自分が目に浮かぶ。だからこそ行った事実をちゃんと肯定する。
今日はトレッドミルで持久力をつけるために歩いた。2時間ひたすら歩き続けた。終わった時、意外と疲れていないことに驚いた。「あれ、意外といけるじゃん?」と思った。まだまだ衰えてないな。 そう思いながら爽快な気分でジムを後にする。
問題はその後。家に帰ってしばらくすると、眩暈と立ち眩みが襲ってきた。単なる疲れというより、心肺機能の限界を超えた結果のような気がした。さすがに三日目で2時間連続は無理しすぎたかもしれない。でも、こういう経験を積み重ねていかないと成長しないって刷り込まれてる。そう思うと眩暈が収まった後には妙な充実感があった。「成長したな!」と実感した瞬間「生きている」って感じって思ってしまった。
……でも、それって本当に健全なのだろうか?
自分は昔から「吐くくらい無理をしてからが本番」と思っている節がある。身体の限界を超えたその先に、本当の成長があると信じているような気がしている。それが自分の経験則だからだ。でも、こうやって自分を追い込んでいると、ふと「いつか無理して死ぬんじゃないか」という予感がよぎる。いや、大げさじゃなく、本当に。
生きることと死ぬことは、案外紙一重なのかもしれない。成長の先にあるのは、どこまでいっても限界とのせめぎ合いだ。無理をして乗り越えた先にあるものは、強さなのか、それとも危うさなのか。今はまだ、その答えがわからない。ただ、一つ言えるのは——今日もまたジムに行くということだ。そういうことにする。