夜、散歩していた。日中は雨。夜になってようやくやんだ空気はどこか湿り気を残しながらじんわりと霧が立ちこめていた。視界はぼんやりとにじみ、カーブミラーはもう完全に役目を放棄していた。反射も輪郭もなく、ただ曇った金属板がそこに立っているだけ。
こういう夜が好きだ。
人の気配が消えた街に残された空気だけがしっとりと漂っている。時折風が吹く。するとどこかの家の干された洗濯物から柔軟剤の匂いがふっと流れてくる。
この瞬間がたまらなく好きだ。
誰かが過ごした生活の一部が、風に乗って自分のところにだけ届いたような気がして妙に安心する。その一瞬のため。
特別なことは何も起きない。ただ静かな夜と、風と、洗剤の匂い。それだけでいい。
それがあれば、今日はいい夜だったと胸を張って言える。