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多様性の果て、人類はどこへ行くのか【25/4/16】

現代に生きる私たちは紛れもなくホモ・サピエンスであり、かつて存在していたネアンデルタール人やデニソワ人はすでに絶滅した。けれど、彼らの痕跡は消えていない。現代人のDNAの中に、ネアンデルタール人由来の遺伝子が数パーセント含まれているという話はよく知られてきた。

 

興味深いのは、その割合がアフリカ系の人々にはほとんど見られず、アジア系やヨーロッパ系に多く残っているという点。つまり、アフリカを出たホモ・サピエンスがユーラシア大陸でネアンデルタール人と交雑しながら広がっていったという歴史が、私たちの中に物語として残っているわけだ。

 

この事実をもってどちらが優れているとか劣っているとかいう話ではなく、あくまでこれは「多様性」の話。人類は一枚岩ではない。交雑し、変化し、環境に適応してきた歴史の積み重ね。言い換えれば、人類は常に「種の可能性」を広げる方向に動いてきたとも言える。

 

たとえばアルコールの分解能力。これは民族ごとにかなり差がある。山岳民族が高地で生活できるのも、酸素を効率的に運ぶためのヘモグロビン量が多いなどの適応があるから。これもまた、地理や環境が遺伝に影響し、多様性として現れている証拠だ。

 

ここでふと思うのは、これらの変化は「進化の途中」なのかもしれないということ。SFっぽい話になるけれど、もし人類がこれから宇宙へと進出したとしたらどうなるのか。重力のない空間で、太陽光の届かない場所で、違う惑星の大気で、身体構造すら変わっていく未来が来るかもしれない。

 

染色体の数だって長い時間の中で変わるかもしれない。現代の人類が23対で落ち着いているのだって偶然の産物に過ぎない。

そうなったとき、果たしてそれは「同じ人類」と言えるのか。今でさえ人種や国の違いで争っているというのに、もし別の種として分かれたら、もはや争いどころでは済まないかもしれない。

 

まるでガンダムの世界のような話。地球の重力に縛られた人類と、宇宙に適応したニュータイプの対立。絵空事のように聞こえるかもしれないけど、何万年後かの未来には、普通に起きているかもしれない。

 

……まぁその前に、AIに滅ぼされている可能性も高い気はするけど。


でも、そうならない未来を願うなら、人類はもっと多様性を受け入れる必要があるのかもしれないね。進化は、たぶん止まっていない。