スピカぴかぴかましゅまろパクパク

日記(のようなもの)を毎日更新!!

気休めとしての野菜ジュース【25/5/7】

コンビニに行っても野菜ジュースを買わなくなった。そんな日が当たり前になって、もう1週間ほど経つだろうか。我ながらよく続けていたものだと思う。

 

なぜ飲んでいたのか? 理由は単純明快。「野菜をあまり食べないから」だ。食卓に並ぶ緑のものはどうも苦手で手が伸びない。でも心のどこかでは「体に悪いよな」「ちゃんと摂らなきゃな」という声がする。その小さな罪悪感を打ち消すようにまるで免罪符のように野菜ジュースを飲んでいた。

 

昼食で1本飲むだけで「今日も最低限の義務は果たしたぞ」という不思議な達成感があった。パッケージに並ぶ色とりどりの野菜のイラストや「1日分の野菜」といったキャッチコピーがその気休めをさらに補強してくれていたように思う。「体に良いことをしているはずだ」と自分に言い聞かせながら。

 

そんな習慣にふと疑問符がついたのは最近のこと。健康管理アプリで日々の栄養摂取を見直したのがきっかけだった。そこで見えてきたのは普段飲んでいるサプリメントのおかげもあってかビタミンやミネラルは野菜ジュースがなくても意外と足りているという事実。そして薄々感じてはいたけれど、ジュースにする過程で失われがちな食物繊維はやはりあまり期待できないということ。

 

「あれ? 僕はこのジュースで一体何を摂取していたんだろう?」

 

答えはたぶん「安心感」だけだ。そのために毎日それなりのカロリーと決して安くはないお金を払っていたのか。そう気づいた瞬間、急にその行為が色褪せて見えた。栄養が足りているなら飲む必要はないし、もし足りない栄養素があるなら、それはジュースではなく別の方法で補うべきだ。そう思ってあっさりと野菜ジュースをやめた。

 

やめてみて1週間。体調に変化は驚くほど何もない。「飲まなきゃ」という軽い強迫観念から解放されたことと、お財布に少し優しくなったこと以外は、何も変わらない。あの罪悪感を打ち消すためだけの行為は、本当にただの気休めだったのだと今さらながら実感している。

 

「体に良さそう」というイメージや「〜しなきゃ」という漠然とした義務感だけで続けていることって意外と多い。でもそれが本当に今の自分に必要なのか、効果があるのか。ときには立ち止まって、自分の体やデータと正直に向き合ってみる。

 

そんな冷静さが、情報過多な現代で健やかに生きていくためには、案外大切なのかもしれない。

 

そんなことをふと思った出来事だった。