日が暮れ始め街にぽつぽつと明かりが灯り始める頃。車を運転していると、ふとサイドミラーに懐かしい姿が映り込んだ。隣のレーンで曲がっていく、あの独特のエンジン音。やっぱりあのラーメン屋さんの出前のカブだった。
年季の入った車体。夕暮れの中でもはっきり分かる、岡持ちを乗せるための後ろの台。ヘッドライトをつけたカブは家路を急ぐ車の間を縫うように目的地へと急いでいく。
昔はもっとたくさん見かけたこの光景も、今では本当に珍しくなった。この辺りで今も元気に走っているのは、このお店とあと一軒のお蕎麦屋さんくらいだろうか。
ヘルメットの下からのぞく白髪混じりの髪。少し丸めた背中。でも、確かなハンドルさばき。失礼ながら「おじいちゃん」と呼びたくなるような、年季と風格のある走りだ。一体、何十年この道を走ってきたのだろう。雨の日も風の日も、熱々のラーメンを届けるために。
その姿を見送るたびに僕の心の中では二つの気持ちがせめぎ合う。一つは「いつまでも、どうか頑張ってほしい」という願い。この光景がこのお店の味が、ずっとこの街に在り続けてほしいという思い。それは失われつつある温かい何かへのどこか懐かしさを含んだ愛惜だ。
でも、同時にこうも思ってしまう。「…かなり高齢だよな。この仕事続けるのは大変だろうな」と。後継者はいるのだろうか。もしかしたらこの光景が見られるのも、もうそんなに長くはないのかもしれない。そんな寂しさがふと胸をよぎる。他のラーメン屋さんの出前がいつの間にか静かに消えていったように。
かつてはああいう出前ラーメンにずいぶんお世話になった。家から出ずに、お店とほぼ同じ値段で温かい一杯が食べられるありがたさ。いつの間にか頼まなくなってしまったけれど、その便利さと優しさは今も記憶に残っている。
頑張ってほしい。でも、無理はしないでほしい。そして、いつかこの光景が見られなくなる日が来ることも覚悟しておかなければならないのかもしれない。
次にあのカブを見かけたら、心の中でそっとエールを送ろう。「今日も一日、お疲れ様です」と。街の片隅で静かに進む時代の変化をこの切ない気持ちとともにただ見つめている。