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補助信号機【25/5/30】

昼下がり散歩をしていたら「おや?」と思わず考え込んでしまう光景に出くわした。


それは見通しの悪いカーブの少し手前だったか。少し先にあるメインの信号機と連動してその予告をするための補助信号機が設置されている場所でのこと。

その補助信号機はおそらく先の主信号が赤のためだろう同じく赤信号を示していた。すると一台の車がその補助信号機の停止線でもないところで律儀に停車したのだ。運転席をちらりと見たところどうやら海外の人っぽかった。

 

ああ、これは…勘違いしちゃうよなと心の中で呟いた。
特にこの信号はあくまで予告であって、実際に停止義務があるのはもっと先の信号ですよなんて複雑な概念を知らなければ目の前に赤い信号が光っていたらそこで止まらなきゃと思うのはむしろ自然な反応だろう。


日本人ドライバーでもぼんやりしていたり初めて通る慣れない道だったりすると一瞬ここで止まるんだっけ?と戸惑うことはあるかもしれない。ましてや日本語の細かい案内表示を読めない外国人ドライバーにとってはなおさらだ。あの種の補助信号機に親切丁寧な英語表記が併設されているのをほとんど見たことがない。

 

これってシステムを作る側に悪気があるわけではないのだろうけど結果としてドライバーを混乱させてしまう点である種の優しくないワナみたいになってしまっているのではないか。


その補助信号の前で止まられると後続車も、え?なんでここで?となるだろうし場合によっては交通の流れを不必要に妨げることにもなりかねない。

 

だからといってその外国人ドライバーを一方的に日本の交通ルールを知らないやつだ!と責めるのは違う気がする。もちろん異国でハンドルを握る以上その国のルールを最大限理解しようと努める責任はある。それは大前提だ。


でも、受け入れる側の道路システムにも、もう少しだけ、誰にでも直感的で誤解なく分かるような分かりやすさへの配慮があってもいいのではないか、と私は思う。

 

では、どうすればいいのか?


全国津々浦々の補助信号機に多言語対応の説明看板を大きく設置するのか?うーん、そのための税金や手間を考えると、それもまた現実的とは言い難い。どこかで費用対効果という言葉がちらつくのも事実。

 

結局こういう細かいけれど時にはヒヤリハットや危険にも繋がりかねない問題は、大きな事故でも起きてニュースで大々的に取り上げられない限り、本格的な対策や改善はなかなか進まないのだろうなという諦めに似た気持ちも湧いてくる。

 

今日たまたま見かけた一つの光景だったけれど、そこから道路行政の難しさや異文化理解のハードルいろいろなことを考えさせられた。


もっと誰にでも優しい道路環境はどうやったら作れるのだろうか。そんなことをぼんやりと思った。