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もう取り戻せない過去への感傷【25/11/23】

ふと、思うことがある。自分のやりたいことを人の目も気にせず真っ直ぐにできるような人間になりたかったな、と。正確にはそういう風に生きたかったなというもう取り戻せない過去への感傷。

 

もちろん理屈の上では「今からでも遅くない」と言うことはできる。人生100年時代だ、何歳からでも挑戦できるなんて言葉は巷に溢れている。でも現実にはもう守るべき家族もいるし積み上げてきた生活もある。「今更遅い」という側面も否定できない事実としてそこにある。

 

なぜ自分はそうなれなかったのか。別に過去に犯罪を犯したとか物理的に不可能な環境だったとかそういう大きな理由じゃない。ただ自分のやりたかったことを恥ずかしかったり笑われたくなかったりして無意識のうちに「自己矯正」してしまった結果なんだと思う。

 

この「自己矯正」のきっかけになるのが本当に些細な周囲の「茶化し」だ。

 

例えば子供の頃ちょっと勇気を出してオシャレをしてみた時。あるいは思春期に鏡を見ながら一生懸命眉毛を整えてみた時。それを見た親戚のおじさんやおばさんがニヤニヤしながらこう言うんだ。「あら、○○ちゃんませちゃって(笑)」 「なんか眉毛細くなってない? 色気づいちゃってまぁ(笑)」

 

言った本人たちに悪気なんて1ミリもない。その場を盛り上げるためのちょっとしたコミュニケーションのつもりだろう。周りの大人たちもそれに合わせてドッと笑う。でも言われた当人にとってはその笑い声は決して温かいものじゃない。「あ、変わろうとすることは恥ずかしいことなんだ」「目立つことをすると笑われるんだ」 という強烈なブレーキとして心に刻まれる。

 

その瞬間、破りかけていた殻はまた硬く閉じてしまう。「普通にしてよう」「目立たないようにしよう」という安全だけど退屈な道へと自分で自分を矯正してしまう。

 

人を茶化すというのはその場は面白おかしくなるかもしれないけれど、実はその人の「人生を変えてしまう」くらいの破壊力を持っている。あの一言がなければもしかしたらその子はファッションデザイナーになっていたかもしれないし人前に立つ表現者になっていたかもしれない。大げさかもしれないけれど「可能性の芽」を摘むというのは、そういうこと。

 

もう自分の過去は変えられない。あの時笑われることを恐れずに突き進んでいたら今頃どんな景色を見ていたんだろうと想像することはあるけれどそれはもう叶わない。

 

だからせめて自分は絶対に誰かの挑戦や変化を茶化したりしないと決めている。もし自分の子供や周りの誰かが不格好でも何か新しいことを始めたり殻を破ろうとしていたりしたら。「似合ってるじゃん」「いいじゃん」と真顔で言ってあげたい。

 

「ませちゃって(笑)」なんていう冷ややかな笑いで誰かの未来を殺さない。