最近個人向けの「古墳」を作るビジネスを展開している人がいるらしい。それを聞いて正直ちゃんちゃらおかしいなと思ってしまった。
数百万、数千万のお金を払ってそれを買う人たちの頭の中には「大仙古墳(仁徳天皇陵)」みたいな広大で美しい緑に覆われて宮内庁あたりに厳重に管理され未来永劫その形を留め続けるようなそんな崇高なイメージがあるんだろう。「自分も死後は、歴史の一部として残り続けるんだ」というある種のロマンというか自己顕示欲というか。
でも歴史を少しでも知っていればそれがどれほど甘い幻想か分かるはず。日本中に数え切れないほど作られた大昔の古墳たち。その成れの果てを見てみろ、と言いたい。現代まで綺麗に残ってちゃんと管理されているものなんてほんの一握り。残りの99%以上は管理なんてされずに放置され風化しただの小山になっている。それどころかそこが古墳だと認識すらされずに削り取られその上に建売住宅が建っていたり、ど真ん中をバイパス道路が走っていたりするのが現実だ。1000年後の未来、自分の墓の上をトラックがビュンビュン走っているかもしれない。そう考えると「古墳は一生残る」なんていう売り文句は歴史を知らない人たちをターゲットにした一種の「情弱ビジネス」に見えて仕方がない。
まあこんなことを言い出すと今の一般的なお墓だって似たようなもんだ。「永代供養」なんて言葉はあるけれどお寺や霊園が潰れたらどうするんだ、という問題はずっと付きまとう。結局形あるものを残そうとすればそこには必ず「維持」と「管理」というコストが発生しそれは未来の誰かの負担になる。
つまり何が言いたいかというと。自分が死んだら古墳だの立派な墓石だのそんな面倒なものは一切いらない。火葬されたらその遺骨はさっさと海に散骨してほしい。広い海に溶けてしまえば土地も取らないし掃除もいらない。誰かが管理費を払い続ける必要もない。残された家族に石の塊の世話を押し付けるより波に消えていく方がよっぽど潔いし気楽。
現代の古墳ビジネスを笑いながら自分の最期についても少しだけ真面目に。