年の瀬の関越自動車道であまりにも痛ましい事故が起きた。車数十台を巻き込む多重衝突。現場の映像を見ると鉄屑のようになった車の列が雪の中に延々と続いている。死傷者も出ているという。事故当時、現場は雪が降っていて最高速度は50キロに制限されていたらしい。
しかしこのニュースを聞いた時多くのドライバーが胸に手を当てて思ったはずだ。 「50キロ制限の高速道路で本当に50キロで走っている車がどれだけいるだろうか?」と。
正直に言えばは守れていない。いや「守らせてもらえない」空気があると言ったほうが正しいかもしれない。高速道路の工事規制なんかでもそうだ。看板には「50キロ規制」と出ているけれど実態はどうだ。みんな平気で80キロ下手すればそれ以上のスピードで駆け抜けていく。 そこで正直に50キロに落とせばどうなるか。 後ろから猛スピードで迫ってくるトラックにパッシングされ煽られまるで「邪魔だ、どけ」と言わんばかりの威圧を受ける。暫定2車線の対面通行区間も同じだ。60キロ制限の道を法定速度で走ろうものなら後ろには長蛇の列ができバックミラー越しに後続車のイライラが伝わってくる。
「流れに乗る」ことが正義で「制限速度を守る」ことが悪とされるあの歪んだ空間。下手に速度を落とすと追突されるんじゃないか煽られるんじゃないかという恐怖心が僕たちのアクセルを緩めさせない。
「周りも出しているから」という赤信号をみんなで渡る心理と「自分だけ遅いと危ない」という防衛本能が混ざり合って雪道ですらスピードを落とせない状況を作り出している。これはもう個人のモラルの問題を超えた道路上に蔓延する「同調圧力」という病。
けれど今回の関越道の惨状はそんな甘えた考えを粉々に打ち砕く。 数十台が絡まり合いひしゃげた車内で助けを求める人々の姿を想像したら「煽られるのが怖い」なんて言い訳は通用しない。 どんなに後ろから詰められようがパッシングされようがスリップして制御不能になり命を落とすよりはマシだ。物理法則は同調圧力なんて気にしてくれない。 路面の摩擦係数が限界を超えればどれだけ周りに合わせようが車はただの鉄の棺桶になって滑っていくだけだ。
50キロ制限には50キロにするだけの理由がある。それを守る勇気を持つこと。後ろの奴に「遅いな」と罵られようが「俺は死にたくないし、殺したくない」と腹を括ってスピードを緩める。
結局のところ命より大事な「流れ」なんてこの世には存在しない。
亡くなった方への追悼とともにハンドルを握る手を見つめ直し自分自身の慢心を戒める。