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巨大な待合室【26/1/13】

電気とメイドとサブカルチャーが渦巻く秋葉原から数駅離れた神保町へ。街の空気がガラリと変わる。電子音のノイズが消え古紙とインクの匂いが漂う本の街に足を踏み入れるとまるで深海に潜ったような静けさを感じる。この感情の起伏こそが東京散歩の醍醐味。

 

古書店を冷やかしているとある店の軒先で足が止まった。段ボール箱の中に無造作に放り込まれた一冊のファイル。中を見ると映画のフライヤーが丁寧にファイリングされていた。背表紙の擦れ具合やファイルの膨らみ方からして元の持ち主が長い時間をかけて一枚一枚大切に集めてきたものだとすぐに分かった。もしかしたらその人はもうこの世にいないのかもしれない。あるいは断捨離で泣く泣く手放したのか。その背景にある人生を想像してしまう。しかしそのファイルにつけられた値段は残酷なほどの「捨て値」だった。そして誰の目にも留まらずに雨風に晒されている位置にあった。

 

先日、自分自身も映画ベスト24を選びフライヤーを集め始めたばかりだからこそその光景は胸に刺さった。自分の今の情熱もいつかこうして他人から見れば価値のないゴミ同然の扱いを受ける日が来るのだろうか。 自分をさらけ出した自己紹介のようなファイルが見知らぬ街のワゴンで100円で叩き売られる未来。そう思うとどうしようもなく寂しくなった。

 

結局そのファイルは買わなかった。パラパラと捲ってみたけれど自分の琴線に触れる映画が入っていなかったからだ。コレクションというのはあくまでその人の文脈で集められたからこそ輝くのであって他人の情熱をそのまま継承することはできない。可哀想だからという理由で引き取るのは逆に失礼な気がした。

 

けれど店を出て神保町の冷たい空気を吸い込んだ時ふと納得がいった。確かに捨て値かもしれない。けれどゴミとして焼却炉で燃やされるよりはこうして次の誰かを待つ場所に置かれているだけずっと幸福なんじゃないか。

神保町という街はそういう場所だ。

誰かの手垢のついた情熱が一度死にまた別の誰かの宝物として蘇るのをじっと待っている巨大な待合室のような場所。あのファイルもいつかその映画を愛する誰かに見つけられる時を待っているのだろう。そう思うとあの安っぽい値札も次の旅への切符に見えてくる。

自分の作ったファイルもいつか誰かの手に渡る時が来るのだろうか? 

そんな感傷を抱いた。