スピカぴかぴかましゅまろパクパク

日記(のようなもの)を毎日更新!!

不条理な契約と、信頼の砂上の楼閣。【26/1/30】

今日は「国籍と土地」にまつわる制度のリアルについて徹底的に整理した一日だった。結論から言えば世界は不条理な契約と法制度の非対称性で満ちている。

 

まずアメリカの市民権だ。米国は国籍主義課税(Citizenship-basedTaxation)という仕組みを採用していて米国籍など一定の立場を持つ限り国外に住んでいても原則として申告が問題になる。正確に言えば申告義務そのものは所得額などの基準に当たるかで決まるが実務では申告して控除や救済措置を適用して結果として二重課税を避けるという構図になりやすい。つまり払う税金は状況次第で軽くできても申告という鎖は外れにくい。

 

さらに厄介なのは離脱の壁だ。親が子どものために国籍を放棄させることは認められない。未成年本人による放棄も法理屈として完全にゼロではないが国務省側は自発性と理解度を厳格に確認し年齢が低いほどハードルが跳ね上がる。結果として緊急事情でもない限り18歳まで待つが現実的な運用になりやすい。アメリカの自由は選んだ瞬間から重い。

 

翻って日本の二重国籍の運用は驚くほど緩い。国籍法第14条で国籍選択の義務を定めている一方義務違反に対して法務大臣が選びなさいと促す催告を行えるのは第15条だ。しかし制度はあっても運用は強く踏み込まない姿勢が長く続いてきたとされる。法的には義務、現実には強制が前面に出にくい。この厳格すぎて逃がさないアメリカと曖昧さで圧をかけない日本の対照だけでまず目眩がする。

 

だがより深刻なのは土地の問題だ。よく言われる日本人は中国の土地を買えないという話は正確には中国ではそもそも土地の所有権が私有されず国家所有(都市部)や集団所有(農村部)が原則で取引されるのは土地使用権(住宅用地なら一般に最長70年)だという構造に由来する。中国人であっても永遠の所有ではなく基本は使用権モデルの国だ。

 

一方で日本は国籍によって一律に不動産所有を禁じる仕組みが弱く外国人でも日本人と同等に期限のない所有権を持てるのが原則だ。相手が使用権モデルで動く国でもこちらは所有権モデルで受け入れてしまう。もちろん所有できること自体が即リスクではないが相互主義が効きにくい非対称な状況になりやすいのは事実で近年は重要施設周辺などについて調査や利用規制を整える方向に動いている。それでも制度の前提が非対称であること自体は変わらない。

 

さらに日本の民法が抱える取得時効の論点にも戦慄した。取得時効はただ居座ったら勝ちではない。所有の意思(自主占有)や平穏・公然といった要件があり主張する側がそれを立証しなければならない。だから賃料未払いの居座りだけで自動的に土地が手に入るという単純な話ではない。

それでもリスクの核があるとすれば所有者が死亡して海外に縁が散り相続関係の把握や連絡が極端に難しいケースだ。悪意ある占有者が「口頭で贈与された」などと主張して占有の性質を塗り替えようとすれば争点は一気に泥沼化する。裁判は自動ではないが資料と反証が乏しい側が不利になりやすいのも現実で結局は長期紛争とコストの消耗戦になる。ここで平穏な占有という言葉が善意の安定のための制度から悪意のための武器へと転じる瞬間が生まれ得る。

 

アメリカのような逃がさない法と日本のような運用で角を立てない法。法制度のディテールを詰めれば詰めるほど日本の国土がいかに信頼という脆い基盤の上に成り立っているかを痛感させられる。

悪意を持ってシステムをハックしようとする存在に対し今の日本はどこまで備えられているのか。そこだけが妙に冷たく残る。