また選挙が近づいてきた。街にポスターが並び始めるといつも同じ問いが浮かぶ。
「このままでいいのか」と。今回の選挙で僕がいちばん気込んでいるのは減税でも給付金でもなく投票所の入り口と中身の組み合わせだ。
僕が求めたいのは「入り口はデジタル、中身はアナログ」。
本人確認は鉄壁に投票は紙で静かに。そんな折衷案。
どこの党もこの話をしたがらない。インターネット投票の利便性を説く声はあるがそこにはハッキングのリスクや自宅という密室での強要をどう防ぐかという未解決の難問が横たわっている。民主主義の根幹である自由な意思を顔の見えない通信ネットワークに丸投げするにはリスクがあまりに大きすぎる。やはり自らの足で投票所へ向かい一票を投じるという物理的なプロセスは今の日本においてまだ捨ててはいけない重みだと思う。
一方で今の投票所の入り口が完璧かと言えば到底そうは思えない。入場券を出し名簿と照合するだけの現在の仕組みは現場の性善説と多大な人手に依存しすぎている。写真付き身分証の提示すら求められない緩さはなりすましや不正のリスクに対して明らかに現代のセキュリティ水準を満たしていない。人手と善意で成立してきた仕組みが手口のアップデートに取り残されている。ここに「このままでいいのか」が刺さっている。
だからこそ入り口だけはデジタルで固めたい。マイナンバーカードやスマホの認証を使い本人性を厳格に確認する。暗証番号を忘れる人がいるなら最後は人間の目で救えばいいが少なくとも誰でも紛れ込める余地は劇的に狭まる。そうして厳格な門を通過した後は今まで通り鉛筆の先から想いを紙に託す。投票の秘密と体育館に響く静けさそして自分の手で箱に入れる実感。これらはやはり紙のほうが守りやすい。
不思議なのはこういう地味なアップデートが政策の議論から漏れていることだ。けれど入り口が揺らげば中身の正当性も揺らぐ。給付だ減税だと未来の数字を語る前にそもそもその未来を選ぶ手続きが今の技術水準において信用に足るものなのかを語ってほしい。金利上昇や住宅ローンの破綻リスクを直視するのと同じくらい民主主義の玄関口の弱さにも向き合ってほしい。
埼玉のこの街で暮らしながら次の世代にどんなバトンを渡せるのか。
投票所の体育館へ向かう道でまた考えるだろう。どの党も言わないこのデジタルとアナログの融合を言わないままで本当にいいのか、と。
一票の重みを感じるためにはまずその一票を投じるための門が正しく閉じ正しく開く必要があるのだから。