映画館という非日常の聖域が満席という祝祭の裏側で突如として過酷なトレーニングジムへと変貌。
期待作を劇場で味わう喜びは大きいが隣の席に荷物を置く余裕すら奪われたときそこには物理的な詰みの構図が完成する。膝の上で抱えきれない大きな荷物は必然的に足下へ。広大なスクリーンを前にしながら足元には一寸の余地もない。
足を伸ばす自由を剥奪された結果窮屈な座席でちょこんと座りつま先立ちの状態を維持することを強いられる。図らずも上映中の二時間はカーフを執拗に追い込み続ける静かなアイソメトリックスの場となった。エンドロールが流れる頃、脚を襲ったのは感動よりもむしろ筋トレ直後のようなあの鈍く重い疲労感。
映画業界が潤うのは喜ばしいことだがこうした不慮のアクシデントを思えばやはり人のまばらな時間帯を狙いたくなる。
さらに冬場はアウターという名の巨大な荷物が問題を複雑にする。あの厚手のジャンバーを羽織ったまま映画に没入するなど到底不可能。
かといって脱げばそれはまた足元のスペースを浸食する新たな敵となる。そもそも劇場の空調バランスはどこか狂っている。多くの人間が発する熱気に対し設定温度が高すぎるのだ。冬の防寒着を着たままでは到底耐えられないほどの熱気が暗闇の中に澱んでいる。
作品の質以前にいかにしてこの居住空間を確保し適切な体温を維持するか。
映画鑑賞とはもはやスクリーンの情報を処理するだけの知的活動ではなく限られたスペースのなかで肉体のコンディションを管理し続ける一種のサバイバルなのかもしれない。
次は軽装で済む季節あるいは一番端の席を確保しこの意図せぬ筋トレを回避できる完璧な布陣で臨もうと思う。映画館を出た後に感じるべきはふくらはぎの張りではなく作品の余韻であるべきなのだから。