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嵐の前【26/4/4】

先週の48時間後の衝撃という鮮烈な記憶が今の穏やかな土曜日をかえって不気味なものに変えている。
脚トレを終えた翌日、覚悟していたほどの痛みが来ないときがある。そんなときつい今回はそこまで追い込めていなかったかと思ってしまう。だが、れが単なる早計にすぎないことをもう身体に教え込まれてしまった。
筋肉痛の不在は平穏の証ではない。ただの猶予期間。嵐の前の静けさにすぎない。

 

毎週、日曜の朝に訪れるであろう強烈な執行を待つ感覚は逃れられない運命を数える囚人のようでもある。
少しでも血流を促し筋肉に修復の材料を届けたい。そう思って外に出て散歩でもしようとした矢先、雨が降る。室内でのインドアバイクという手もあるが今はそれも避けている。打てる手は思ったより少ない。

 

結局できるのはタンパク質を流し込み場合によってはオーバーカロリーさえ許容しながら肉体という名の巨大な工場に増産を命じることくらい。
壊れた繊維をつなぎ合わせより太くより頑丈な構造へ作り直すための資材を送り込む。それがこの猶予期間に果たせる数少ない義務なのだと思う。

 

それにしても自分の身体でありながらここまでコントロールが効かないのはなぜなのか。
シムシティのように予算を投じればインフラが整い指示を出せば街が動くような明快さは肉体には存在しない。どれだけ理屈を積み上げてトレーニングを組んでも反応は遅れてやってくるし時には予想もしない場所が悲鳴を上げる。
細胞一つひとつの挙動さえ自分の意志とは無関係な自然現象のように振る舞う。1000kmのドライブを制御するより数kgの筋肉の修復を制御する方がよほど難解でままならない。

 

明日の朝、目が覚めた瞬間に訪れるであろう答え合わせ。
それがどれほど残酷でも受け入れるしかない。今はただ計算の合わない胃袋に最後のプロテインを収めて静かにその時を待つだけだ。
コントロールできないからこそ次にうまく噛み合ったときの全能感は何ものにも代えがたいのだと思う。