世間がゴールデンウィークの祝祭に浮かれるなか私はカレンダーの赤文字を無視していつも通りキーボードを叩いている。
今日はメーデー。労働者のための日だというならば実際に労働しているこの状態こそある意味では最も筋の通った祝い方なのかもしれない。祝う側に回るのではなくその中心に居続けるという選択。そこに特別な感情はないが妙に納得感だけはある。
朝から叩きつけるような土砂降りだった。
久しぶりの激しい雨音が乾ききった地面を容赦なく打ちつける。その光景はどこかシステムエラーを強制的に修復する緊急パッチのようにも見える。
ダムの渇水問題が一度の降雨で解決するほど単純ではないにせよ少なくとも状況を前に進めるための一手にはなっている。迫りくる梅雨の気配をほんの少し現実に引き寄せたような一日だった。
連休中の過ごし方に思いを巡らせる。
予定のない休日は一見すると自由だが書く側の人間にとっては材料不足という別の問題を孕んでいる。何も起きない時間はそのままでは何も生み出さない。
ならば事前に書き溜めておこうかと考えるがすぐに自分の経験値という名のストレージ容量の限界に突き当たる。劇的な出来事がなくとも日常のわずかな違和感や思考の断片を拾い上げて言語化していくしかない。
それでも書き続ける理由は生産ではなくデバッグに近い。頭の中に散らばったノイズを整理し形にして外に出す。ただそれだけの作業。誰かに届くかどうかは副次的な問題でしかない。
ふと話題になったはてなの10億円振り込み騒動を思い出す。
もし仮にこのブログという思考の置き場所そのものがサービス終了を迎える日が来たとしたらここに積み上げてきた文章は一瞬で消えるだろう。だがそれでも構わない気がしている。
街の風景が静かに更新されていくように記録もまたいつか消える。重要なのは残すことではなくその瞬間に考え言葉にしたという手触りだ。そこにしか自分の輪郭は残らない。
明日が晴れでも雨でも構わない。私はただ自分のペースで日常を切り取りアンダーカロリーな生活とともに思考を記録し続ける。それだけ。