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それでも続く生活【26/5/17】

昼間の熱気が夜になってもアスファルトに残り続ける妙に蒸し暑い一日だった。

 

そんな気候とは別の意味で今日は重たい日でもあった。

親戚のお通夜。黒い服を着て静かな会場で焼香をしながら一人の人生が終わったという事実をただ受け止める時間だった。

年齢を重ねるにつれてこういう場面は確実に増えていく。

 

昔は、死というものはもっと遠い場所にある感覚だった。ニュースの向こう側や誰かの親世代の話。しかし気づけば自分の生活圏の中ですこしずつ見送る側に回る機会が増えている。

 

親戚、知人、昔お世話になった人。
アドレス帳の名前がゆっくり減っていく。

 

お通夜や告別式という場には独特の空気がある。悲しいというより静かに現実を突きつけられる感覚に近い。人間もいつか終わる。その当たり前の事実を否応なく意識させられる。

だからなのかもしれない。

誰かの終わりを目の前にすると不思議と自分はまだ動かなければならないという感覚が強くなる。

本来なら今日は運動を休んでもよかった。お通夜という予定が入った時点で今日は仕方ないと理由をつけることもできたと思う。

 

でも夜になってから歩いた。

約6km。特別な達成感があるわけではない。ただアンダーカロリーを維持するために淡々と歩数を積み重ねる。そのあと軽くインドアバイクも回した。

もちろん腰の状態は気にしている。無理はできない。だから走らないし高強度にも戻らない。ただ今できる範囲でゼロにしないということだけは守った。

 

こういうことを書くと不謹慎だと思われるかもしれない。

でも実際、人は他人の死をきっかけに自分の残り時間を意識する。悲しみと同時に自分はまだ生きているという感覚も強くなる。

結局、自分の人生を動かせるのは自分しかいない。

誰かの人生を完全に代わりに生きることはできないし誰かが自分の健康や身体を管理してくれるわけでもない。だから最後は自分で動くしかない。

 

食事を整える。
身体を動かす。
少しずつ体を立て直す。

そういう地味な積み重ねを続けるしかない。

世界は少しずつ暗くなっていく。別れも増える。それでも自分の身体と生活だけは自分で維持していかなければならない。

だから明日もまた、歩く。
カロリーを削り身体を動かし自分の生活を続けていく。

それが今の自分にできる最も誠実な生きるという行為なのだと思う。