気持ちが沈んでいる時人は大きな理由や劇的な救いを探しがち。
でも実際には心をぎりぎりのところで支えているのはもっと小さくて説明のつかない好きの感覚なのかもしれない。
たとえば音楽。
イントロが流れた瞬間「あ、この曲だ」と空気が切り替わる感覚がある。特に静かな始まりからAメロへ入る瞬間のキーボードやギターの音。たった数秒なのにその一音だけで気分が少し戻る時がある。
理屈ではない。ただ、その音が好きだというだけ。
筋トレも少し似ている。
素手でバーベルを握ったあと手のひらに皮がめくれた跡が残る。別にそれが何か大きな成果を証明しているわけではない。だが「ちゃんと身体を使った」という感覚だけは確かに残る。
傷つき回復しまた少し強くなる。
その流れを自分の身体で感じられることにどこか安心している部分がある。
雨上がりの夜道もそうだ。
濡れたアスファルトの匂い。白く曇ったカーブミラー。水を含んだ空気。昼間とは少し違うぼやけた世界の感じ。
あの時間帯だけは現実の輪郭が少し曖昧になる。いつもの景色なのにほんの少しだけ別の世界みたいに見える。その感覚が妙に好きだ。
キーボードの擦れた文字も最近よく気になる。
特に「A」のキー。何万回と押され続けた結果、表面が削れている。母音だから当然使用頻度は高い。でもその摩耗を見ていると「自分はずっと何かを書いてきたんだな」と実感する。
誰に届くかは別としてとにかく出力を止めなかった。その痕跡だけはちゃんと物として残っている。
そして、猫。
ツナ缶を開ける音を聞いた瞬間どこにいても反応する。さっきまで寝ていたはずなのに音もなく現れて期待に満ちた目でこちらを見る。
あの反応は本当に不思議だ。
言葉を理解しているわけではない。でも「これは特別なやつだ」ということだけは完璧に理解している。あの単純さと図々しさと愛らしさがどうしようもなく好きだった。
今はもう会えない猫もいる。
それでもツナ缶の音や歩き方や視線の動きみたいな記憶はまだ家の中に残っている気がする。
世の中にはどうにもならないことが多い。
不幸は突然来るし別れは避けられない。努力だけでは防げないこともある。
それでも人間が完全に壊れずに済んでいるのはこういう小さな好きが残っているからなのかもしれない。
好きな音。
好きな匂い。
好きな感触。
好きだった存在。
それらは劇的に人生を変えるわけではない。でも少しずつ確実に心を支えている。
だから今は無理に立ち直ろうとしなくてもいい。
ただ、自分の中にまだ残っている好きを静かに確認しながら次にまた少し動けるようになるまで待てばいいのだと思う。