給食で一番好きだったものは何だっただろう。
真っ先に浮かんだのはココア揚げパン。
あの妙に甘いココアパウダー。食べるたびに机の上や服にこぼれるのにそれでも嬉しかった。今思えば特別高級なものでも何でもないのになぜか無性に美味しかった記憶だけが残っている。
もう一つ好きだったのが少し水分多めの焼きそば。
大人になってから食べる屋台の焼きそばとも違うし家庭の焼きそばとも違う。あの給食特有のちょっとべちょっとした食感。今ならもっとこうした方が美味しいと言いたくなりそうなのに不思議とまた食べたくなる。
たぶん味そのものだけではないのだろう。
教室の匂いとか昼休み前の空気とか友達との会話とかそういうものが全部まとめて記憶に保存されている。だから再現できそうで再現できない。
そして気づく。
もう物理的に食べられない。
地元の給食センターはなくなった。民間委託になり当時と同じ設備も人も残っていない。
レシピが残っていたとしてもあの頃の味そのものはもう存在しない。
そう考えると少し寂しい。
同じことを大学時代の油淋鶏丼にも感じる。
厳密には大学へ行けば今でも食べられるのかもしれない。
でももう学生ではない。
昼間のキャンパスへ入る理由もないしそもそも遠い。
行けば食べられると実際に食べに行くは案外大きな違いがある。
結局思い出の味というのは味覚だけでできているわけではないのだと思う。
その時代の自分。一緒にいた人。その頃の悩みや空気。
全部込みで成立している。
だから完全な再現はできない。
たぶん誰にでもあるのだろう。
昔よく行った定食屋のカレー。
部活帰りに食べたラーメン。
祖父母の家で出てきた煮物。
もう食べられないわけではないのに実質的にはもう二度と同じ形では食べられない味。
そう考えていたら今度は現実の食欲が顔を出してきた。
給食でも大学でもなく今一番食べたいのは地元の街中華の炒飯。
あの少し濃いめの味付けとレンゲが止まらなくなる危険なやつ。
思い出の味を語っていたはずなのに最後は現在進行形の空腹に負けた。
結局、人間は過去を懐かしみながらも次の一口を探して生きているのかもしれない。