2026年7月4日
埼玉県の川越を中心とした各自治体の資料館を回った。
富士見市→川越市→三芳町→新座市→朝霞市
それぞれ、富士見市は水子貝塚と難波田公園
川越市は川越市立博物館
三芳町は三芳町立歴史民俗資料館
新座市はれきしてらす
朝霞市は朝霞市博物館
ふじみ野市の歴史民俗資料館は閉館中の為行けなかった。
以下は感想
今回、川越文化圏と武蔵野台地の歴史をたどる資料館めぐりとして水子貝塚資料館、難波田城資料館、川越市立博物館、三芳町立歴史民俗資料館、れきしてらす(新座市)、朝霞市博物館まで回った。
全体として感じたのはどこの施設もまず土器から始まるということだった。縄文や古代の展示はどの地域にもあり最初はそれぞれ違う歴史が見られるのかと思ったが後半になるにつれて展示内容は少しずつ似てくる印象もあった。富士見市の水子貝塚資料館と難波田城資料館、そして川越市立博物館はかなり見応えがあったがその後の施設は展示規模や内容の濃さという点ではやや弱く感じた。
一番印象に残ったのは水子貝塚資料館だった。展示が分かりやすく土器や貝塚がどのようなものだったのかを楽しみながら見ることができた。海が近かった時代の水子周辺では森の恵みや魚介類を利用でき今よりも良いものを食べていたのではないかとも感じた。米作以前の縄文の暮らしは想像していたより豊かだったのかもしれない。外は普通の公園という印象もあったが、人も多く地域の中で親しまれている場所のように見えた。
難波田城資料館も良かった。廃城になった城跡をできる限り復元しようとしている姿勢が印象的だった。水子貝塚が縄文に特化していたのに対して難波田城はその後の時代を丁寧にまとめており水子貝塚と難波田城の二つで今回の旅の大部分が総集編のようにまとまっていたようにも感じた。曲輪を実際に歩けたのも良かった。ただ中世の城としてのリアルさは残っている資料が限られているためかそこまで強くは感じなかった。旧大沢家住宅は大きく後で見た三芳の民家とも似ていたが難波田城の方が規模感を感じた。
川越市立博物館は有料施設だけあって一番大きく資料も多かった。古い川越を全体的に感じられる施設で川越城や城下町、昔の生活や文化を広く知ることができた。ただ資料が多い分ひとつひとつのテーマは大まかに見えるところもあった。川越夜戦のような「負けた歴史」ややや暗い歴史よりも観光地としての川越を楽しめる展示が中心だった印象がある。本丸御殿に入れたのは良かったが展示というよりは建物の中を歩く体験に近かった。川越藩や周辺地域とのつながりも少し見えたが三芳のさつまいもや新座の野火止用水などは後で別の資料館を回ってから伏線のように効いてきた。
三芳町立歴史民俗資料館では三富新田とさつまいもの展示が印象に残った。三芳の歴史の中心は川越藩による開拓とそこから生まれたさつまいも文化なのだと感じた。川越で先に水や開拓の話を見ていたため三芳はその延長線上にある地域として理解できた。ただ縄文などの展示は他館と比べると弱く民家展示も建物の中に入れる点は良かったが説明が少なくただ移築して置いてあるようにも感じた。三芳は展示全体というよりも川越藩の開拓とさつまいもという一点に魅力がある場所だった。
れきしてらす(新座市)では野火止用水の歴史が中心だった。移住してきた人々が、誰の主導で、どのように水を引いたのかという流れは面白かった。特に同じ川越経済圏でも新座は水に乏しい土地だったため玉川上水から努力して水を引いたという話は印象に残った。これは三芳の開拓ともつながる。実際に新座の道路や町を見てみると田んぼがほとんどなく用水がなければ農地としてはかなり厳しかった土地なのだと実感できた。一方で「野火止」という名前の由来が説明されていなかったのは残念だった。平林寺についても松平氏が祀られていることが書かれている程度で寺の役割や地域との関係までは深く分からなかった。施設自体はきれいだったが独立した資料館というより施設の一角という印象で展示量は多くなかった。それでも、川越藩、松平氏、野火止用水という伏線が回収される感じは良かった。
朝霞市博物館は正直に言うと一番印象が弱かった。独特の歴史というより縄文から川、鉄道、そして銅という総まとめのような展示だった。ただ、今回回ってきた施設を振り返ると三芳と新座以外は新河岸川と鉄道がかなり重要な軸になっていた。川越、富士見、朝霞を通じて、新河岸川、鉄道、街道をたどれたことは良かった。朝霞で意外だったのは銅を作っていたことだった。ただその産業は今も続いているわけではなく歴史的には点のようにも感じた。とはいえそれがないと朝霞市博物館の展示としては寂しくなるので施設としては必要な要素だったのだと思う。鉄道があるから軍需施設も置かれたという見方は朝霞ならではだったかもしれない。
今回のルート全体では最初に考えていたほど「縄文から近代まで一本の線でつながる」という感覚は強くなかった。むしろ、それぞれの地域が別々に土器から始まり近代になると似たような生活展示に収束していく印象があった。ただその中でも川越藩、松平氏、三富新田、野火止用水、平林寺、新河岸川、鉄道、街道といった要素がところどころでつながり後から「あれはここにつながるのか」と分かる瞬間があった。
特に良かったのは新座と三芳のつながりだった。同じ武蔵野台地でも水が乏しい土地をどう使うかという課題があり三芳では開拓とさつまいも新座では野火止用水という形でそれぞれの答えがあった。川越を中心に見れば城下町や経済圏だけでなくその周辺の土地をどう開発しどう支えていたのかが見えてくる。
一方でふじみ野市の上福岡歴史民俗資料館に行けなかったのは残念だった。上福岡には火工廠があり戦争や軍需、鉄道とのつながりを考えるうえで重要な場所だったはずだ。もし上福岡の資料館を見ることができていれば朝霞の軍需施設や鉄道との関係ももう少し立体的に感じられたかもしれない。
今回の資料館めぐりは施設ごとの満足度には差があったが地元の歴史を「点」ではなく「面」で見る体験にはなった。水子貝塚や難波田城のように展示そのものが充実している施設もあれば、三芳や新座のように展示規模は小さくても川越藩や用水の流れを考えるうえで意味のある施設もあった。最終的には川越文化圏というものが単に川越市だけで完結しているのではなく周辺の農村、用水、川、鉄道、街道に支えられて広がっていたことが分かった旅だった。
