選挙が近づいている。毎回したり顔で政局予想をしてみるもののことごとく外してきた実績がある身としていうのもあれだけど今回ばかりは本当に読めない。
どっちに転ぶのか誰が勝つのか。
ただ政治なんてそんな水物なのかもしれないと最近は達観している自分もいる。右だ左だ与党だ野党だと騒ぎ立てるけれど根底にあるのは「日本を良くしたい」という共通の目的だと信じたい。そうでなければあまりに救いがないからだ。
減税か増税かという手段の違いはあれど目指すべきは今も未来も住みよい社会であること。そこに世代間の対立を持ち込み高齢者が悪い、若者が不憫だのと分断を煽って得をするのは一体誰なのだろう。対立からは憎しみしか生まれないのになぜかそこばかりがクローズアップされる現状には首をかしげる。
視線を経済に向ければSNSのタイムラインには景気のいい報告が躍っている。最近の株高で資産が爆増したという億り人たちの宴。残念ながら日本株を持っていなかったのでその恩恵には直接あやかれなかった。蚊帳の外で指をくわえて見ているだけ。
しかし皮肉なことに僕の持っている投資信託の評価額は上がっていた。理由は単純で円安。企業の成長やイノベーションによる利益ではなく自国の通貨の価値が下がったことで相対的に数字が膨らんでいるに過ぎない。
これを儲かったと手放しで喜んでいいものだろうか。円の力が弱まり輸入品が高くなり生活コストが上がる一方で資産の数字だけが増えていく。
それはまるで沈みゆく船の上で持っている金の延べ棒の値段が上がっているような、奇妙な不安感を伴う。国が弱くなることで個人の資産が増えるというパラドックス。選挙の結果がどうあれこの歪んだ構造を正し数字のマジックではない「本当の豊かさ」を感じられる社会にしてほしいと願うのは贅沢な悩みだろうか。
増えた含み益の画面を見つめながら素直にガッツポーズはできない。