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日記(のようなもの)を毎日更新!!

選挙とか社会とか【26/1/18】

選挙が近づいている。毎回したり顔で政局予想をしてみるもののことごとく外してきた実績がある身としていうのもあれだけど今回ばかりは本当に読めない。

どっちに転ぶのか誰が勝つのか。

ただ政治なんてそんな水物なのかもしれないと最近は達観している自分もいる。右だ左だ与党だ野党だと騒ぎ立てるけれど根底にあるのは「日本を良くしたい」という共通の目的だと信じたい。そうでなければあまりに救いがないからだ。

減税か増税かという手段の違いはあれど目指すべきは今も未来も住みよい社会であること。そこに世代間の対立を持ち込み高齢者が悪い、若者が不憫だのと分断を煽って得をするのは一体誰なのだろう。対立からは憎しみしか生まれないのになぜかそこばかりがクローズアップされる現状には首をかしげる。

 

視線を経済に向ければSNSのタイムラインには景気のいい報告が躍っている。最近の株高で資産が爆増したという億り人たちの宴。残念ながら日本株を持っていなかったのでその恩恵には直接あやかれなかった。蚊帳の外で指をくわえて見ているだけ。

しかし皮肉なことに僕の持っている投資信託の評価額は上がっていた。理由は単純で円安。企業の成長やイノベーションによる利益ではなく自国の通貨の価値が下がったことで相対的に数字が膨らんでいるに過ぎない。

 

これを儲かったと手放しで喜んでいいものだろうか。円の力が弱まり輸入品が高くなり生活コストが上がる一方で資産の数字だけが増えていく。

それはまるで沈みゆく船の上で持っている金の延べ棒の値段が上がっているような、奇妙な不安感を伴う。国が弱くなることで個人の資産が増えるというパラドックス。選挙の結果がどうあれこの歪んだ構造を正し数字のマジックではない「本当の豊かさ」を感じられる社会にしてほしいと願うのは贅沢な悩みだろうか。

増えた含み益の画面を見つめながら素直にガッツポーズはできない。

 

ストック【26/1/17】

正直に白状するとこの日記に「ストック」などという気の利いたものはない。

毎日が綱渡り。その日あったこと、感じたことを、締め切りに追われる漫画家のようにギリギリになって書き殴っている。誰からも「書いてくれ」と頼まれていないし更新が止まったところで世界は1ミリも困らないのになぜかネットの海に放流し続けている。

読み返せば文才の欠片もない言葉が並び時には支離滅裂な思考がそのまま冷凍保存されている。「他人様に見せられるような文章を書きたい」 当初はそんな高尚な動機があった気もするが今はもうただの習慣という惰性だけで指を動かしている。過去改変を繰り返した記憶の中で初心という幹はとっくに腐り落ちているのかもしれない。

 

そんな制御不能なアウトプットは食欲においても遺憾なく発揮されてしまった。先日映画を観に行った時のこと。TOHOシネマズの売店ではポップコーンにかけるバターフレーバーオイルがセルフサービスでかけ放題になっている。人が少ない時間帯だったこともあり貧乏性と背徳感に突き動かされその黄色い液体を親の仇のように大量に回しかけた。表面がひたひたになるほどの油。映画を見ている間は至福だった。濃厚な香りと塩気は脳髄を痺れさせる麻薬のようだった。

 

しかし代償は翌日にやってきた。お腹の調子が壊滅的。当然といえば当然の話であんな大量の酸化した油を胃腸が消化しきれるわけがない。内臓がこれ以上は無理だと悲鳴を上げ全力で異物を排出しようとしている。

これ以上書くと日記が汚物処理の報告書になってしまうので自粛するが想像を絶する不快感だ。

なら書くなという話だがこの痛みもまた生きた証としてここに記しておく。

日記も油も適量を超えて垂れ流せば後で必ず痛い目を見る。

トイレの個室より。

 

駅から5分は…?【26/1/16】

不動産情報や地図アプリでよく見る「駅から徒歩〇分」という表記。 あれを鵜呑みにして痛い目を見た経験は誰にでもあるはず。

表記上の時間はあくまで「駅の出口」から「目的地」までの距離を一定の速度(分速80m)で歩いた場合の理論値に過ぎない。しかし僕たちが知りたいのは「電車のドアが開いてから目的地に着くまでの時間」だ。この両者の間には深くて暗い埋めようのない溝がある。

 

考えてみてほしい。電車を降りる。ホームを歩く。階段を上る。コンコースを歩く。改札を通る。そして地上への階段を上る。この一連の動作だけで普通の駅でも平気で3分から5分はかかる。「徒歩15分」と書かれていたら実質は「徒歩20分」と見積もるのが大人の知恵。地図上のルート検索は駅構内という「ダンジョン」の攻略時間をあえて無視している節がある。

 

特に大宮駅のような巨大ターミナルや大江戸線のような深深度地下鉄は最悪だ。大宮駅なんてホームから改札に出るだけで一苦労だしそこから人混みをかき分けて出口にたどり着くまでに一曲聴き終わるくらいの時間がかかる。大江戸線に至ってはもはや移動というより「登山」や「炭鉱夫」のそれに近い。地上に出た時にはすでに軽い疲労感すらある。 あれを「徒歩0分(駅直結)」とか言うのは詐欺に近い優良誤認じゃないだろうか。

 

さらに言えば地上の「信号待ち」も計算に入っていない。 赤信号に2回引っかかればそれだけでプラス2分。結局のところデータはあくまでデータ。「駅近物件」という甘い言葉に踊らされず実際に自分の足で歩き改札までのロスタイムと信号の機嫌を確認する。

それがこの過密都市で遅刻せずに生き抜くための唯一確実なライフハック。

 

口裂け男【26/1/15】

定期検診のために歯医者へ行ってきた。日頃のケアの甲斐あってか衛生士さんからは「きれいに磨けていますね」とお墨付きをもらった。しかし口内の最果て親知らずにだけは小さな穴が開いているのが見つかってしまった。幸いまだ抜くほどではないとのことでその場でレジンを埋め込む処置をすることになったのだがこれが地味にかつ強烈な苦行だった。

親知らずというのは口腔内の最も奥まった場所にある。そこに器具を到達させるためには唇の端をグイッとそれこそ物理的な限界まで引っ張る必要がある。「ちょっと引っ張りますねー」という軽い言葉とは裏腹にその力加減は容赦がない。口角がピキピキと悲鳴を上げ皮膚が裂ける寸前のテンションがかかる。治療中ある昭和の都市伝説を思い出していた。

口裂け女。

彼女の口が耳まで裂けているのは整形手術の失敗だというのが通説だが絶対に違う。あれは間違いなく腕力に頼りすぎた歯科医による親知らずの治療ミスだ。「もっと奥まで見たい」という医師の熱意と「もう限界です」という患者の皮膚の強度が決裂した瞬間に生まれた悲劇。治療を終えてジンジンと熱を持つ自分の口元をさすりながら妙にリアルな怪異の誕生秘話に納得してしまった。実際うがいをした時に少し鉄の味がした気がするのは気のせいだと思いたい。

 

それにしても普通なら「親知らず=即抜歯」となりそうなものだが今回の先生は違った。 「まっすぐ生えているし噛み合わせにも参加しているから使えるうちは使っておきましょう」と言うのだ。まるで少し調子の悪い家電を「叩けば直る」と言って使い続ける昭和の親父のようなあるいはまだ着られる服を捨てられない貧乏性のような精神。

でもその自分の体の一部を安易に捨てないという判断は嫌いじゃない。 将来他の歯がダメになった時にこの親知らずを移植する保険になる可能性だってあるわけだし。

 

結局唇の端に微かな痛みを残したまま僕の親知らずは延命された。口裂け男にならなかったことに安堵しつつ最果ての歯もまた自分の体を構成する大事な資産なのだと言い聞かせる。とりあえずこれ以上あの拷問を受けないで済むように今日からは歯ブラシを喉の奥まで突っ込んで磨くことにしよう。 

 

行列、大混雑【26/1/14】

神保町での古本探索を終え運動がてら後楽園駅まで歩こうとしたのが運の尽きだった。

白山通りを北上し水道橋駅のガードをくぐったあたりで突然世界が変わった。歩道という歩道が人間で埋め尽くされている。最初は時期的に成人式かと思った。けれど振袖やスーツにしては統一感がないし何より全員が同じ方向つまり東京ドームを目指して行軍している。

そこでようやく気づいた。何かのライブかと。そこはもう歩くというより流される場所だった。物販に並ぶ長蛇の列入場ゲートを目指す塊推しのグッズを身につけて記念撮影をする集団。一歩進むのにも苦労するような大渋滞の中ですごいなという語彙力を失った感想だけが頭を回っていた。

 

その時はただの人混みへのストレスしかなかったけれど数日経って冷静になりあの光景を脳内で金額に変換してみた時、戦慄した。

東京ドームのキャパシティはコンサート時で約55000人。仮にチケット代が10000円だとしよう。それだけで一夜にして5億5000万円が動く計算だ。それが2日間開催なら11億円。さらに大阪では6日間もやるという。単純計算でチケットだけで数十億円規模だ。 ここに飛ぶように売れていたタオルやTシャツなどの物販収益、地方から遠征してくるファンの新幹線代、ホテル代、周辺の飲食店での消費を加えたらどうなる?

とてつもない額だ。一組のアイドルグループがツアーをやるだけでちょっとした地方自治体の予算並みの金が動いていることになる。

 

日本経済は停滞しているなんて言われるけれど、あそこだけは別世界だった。不景気知らずの熱狂と惜しげもなく財布を開くファンたち。彼らこそが今の日本で最も頼もしい消費者であり経済を回すエンジンそのものだ。

もっとやってほしいこれは偽らざる本音だ。彼女らが金を落とせば巡り巡って税収が増え社会インフラが維持され僕たちの生活にも何らかの恩恵があるはずだ。日本のためにガンガン稼いでガンガン使ってほしい。

 

ただし、だ。巻き込まれたくないというのも、もう一つの本音。

経済効果は享受したいけれどあの物理的な混雑と熱気の中に身を置くのは御免被りたい。彼女らは彼女らの聖域で経済を回し、僕は僕の静寂の中で生活する。 互いに不可侵条約を結び決して交わらない並行世界として存在するのが理想。

「経済は回してくれ。でも道は空けてくれ」 そんな虫のいいことを考えながらカレンダーで東京ドームのイベントスケジュールを確認した。

 

巨大な待合室【26/1/13】

電気とメイドとサブカルチャーが渦巻く秋葉原から数駅離れた神保町へ。街の空気がガラリと変わる。電子音のノイズが消え古紙とインクの匂いが漂う本の街に足を踏み入れるとまるで深海に潜ったような静けさを感じる。この感情の起伏こそが東京散歩の醍醐味。

 

古書店を冷やかしているとある店の軒先で足が止まった。段ボール箱の中に無造作に放り込まれた一冊のファイル。中を見ると映画のフライヤーが丁寧にファイリングされていた。背表紙の擦れ具合やファイルの膨らみ方からして元の持ち主が長い時間をかけて一枚一枚大切に集めてきたものだとすぐに分かった。もしかしたらその人はもうこの世にいないのかもしれない。あるいは断捨離で泣く泣く手放したのか。その背景にある人生を想像してしまう。しかしそのファイルにつけられた値段は残酷なほどの「捨て値」だった。そして誰の目にも留まらずに雨風に晒されている位置にあった。

 

先日、自分自身も映画ベスト24を選びフライヤーを集め始めたばかりだからこそその光景は胸に刺さった。自分の今の情熱もいつかこうして他人から見れば価値のないゴミ同然の扱いを受ける日が来るのだろうか。 自分をさらけ出した自己紹介のようなファイルが見知らぬ街のワゴンで100円で叩き売られる未来。そう思うとどうしようもなく寂しくなった。

 

結局そのファイルは買わなかった。パラパラと捲ってみたけれど自分の琴線に触れる映画が入っていなかったからだ。コレクションというのはあくまでその人の文脈で集められたからこそ輝くのであって他人の情熱をそのまま継承することはできない。可哀想だからという理由で引き取るのは逆に失礼な気がした。

 

けれど店を出て神保町の冷たい空気を吸い込んだ時ふと納得がいった。確かに捨て値かもしれない。けれどゴミとして焼却炉で燃やされるよりはこうして次の誰かを待つ場所に置かれているだけずっと幸福なんじゃないか。

神保町という街はそういう場所だ。

誰かの手垢のついた情熱が一度死にまた別の誰かの宝物として蘇るのをじっと待っている巨大な待合室のような場所。あのファイルもいつかその映画を愛する誰かに見つけられる時を待っているのだろう。そう思うとあの安っぽい値札も次の旅への切符に見えてくる。

自分の作ったファイルもいつか誰かの手に渡る時が来るのだろうか? 

そんな感傷を抱いた。

 

決闘【26/1/12】

ニュースで「決闘罪」による逮捕者が出たと知って驚いた。

明治22年に作られた130年以上前の法律が令和の今もしっかり現役で運用されているとは。

当時は武士の名残などもあったのだろうが現代の若者がこの罪状で捕まるとはなんとも時代錯誤で奇妙な感じがする。

逮捕された奴はヤンキー漫画のようにタイマンで白黒つけることにロマンを感じたのかもしれない。

 

だが現実は漫画とは違う。

河川敷で殴り合って友情が芽生えるのはフィクションの中だけでリアルな法治国家で待っているのはパトカーと前科だ。

決闘罪は実際に戦った当事者だけでなく、立会人も処罰される厳しい法律。

国は私的な暴力による解決を1ミリも認めないのだ。

 

そう考えるとヤンキー漫画は犯罪のオンパレードだ。

暴行、傷害、器物損壊、そして決闘。

「熱い青春」も現実ではただの反社会的行為として処理される。

漫画の主人公気分で拳を握ってしまった彼ら末路は滑稽で少し物悲しい。

明治の法律家もまさかスマホ時代の若者を裁くのに使われるとは夢にも思わなかっただろう。

漫画はあくまで漫画。現実はもっとシビアだ。