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競馬【26/6/6】

今日は東京競馬場へ行ってきた。


そして結果から言うと――


大勝ちだった。


やったね。


もちろん競馬なので、たまたま流れが良かっただけかもしれない。それでも馬券が当たると素直に嬉しい。レースを見ている時の高揚感も含めて、かなり楽しい一日だった。ただ、今回一番印象に残ったのは馬券の結果ではない。競馬場そのものだった。

 


正直、行く前はもっと年齢層が偏っているイメージを持っていた。昔ながらの競馬ファンが大半で、場内はもっと殺伐としているのだろうと勝手に想像していた。


実際に行ってみると全然違う。

若い人もいる。

友達同士で来ているグループもいる。

カップルもいる。

そして驚いたのは家族連れだ。

 


子どもが芝生を走り回り親がレースを見ている。公園のような雰囲気の場所も多く競馬に興味がなくても普通に休日を過ごせそうな空間になっていた。


むしろ「競馬場」というより大規模なレジャー施設という印象のほうが近い。

食事も思っていたより良かった。


イベント会場価格で何でも高いのかと思っていたが、意外と普通だった。もちろん安いわけではないがこういう場所ならこんなものだよねという範囲に収まっている。

 


そして何より、レースが始まる直前の空気がいい。

スタート前のざわめき。

ゴール前の歓声。

馬券を持っている時の期待。

 


持っていない時の気楽さ。

あれは現地でしか味わえない。

テレビで見る競馬と、現地で体験する競馬はかなり別物だと思う。

 


競馬そのものも面白かったが、それ以上に一日遊べる場所として普通に魅力があった。

だから帰る頃には「また来てもいいな」ではなく「また来よう」になっていた。

 


もちろん今日勝ったからそう思っている部分もある。

もし全敗していたら違う感想になっていた可能性は否定できない。


だがそれを差し引いても東京競馬場は想像以上だった。


芝生は広い。

施設は綺麗。

食事もある。


レースは盛り上がる。

そして馬は格好いい。

 


競馬に興味がある人はもちろん興味がない人でも一度行ってみる価値はあると思う。


少なくとも今日の私は競馬場=ギャンブルの場所という昔のイメージを完全に上書きされた。

 


そして何より。

勝った日の競馬場はやっぱり最高だった。

眠れなかった夜【26/6/5】

昨夜は全然眠れなかった。

少し寝つきが悪いというレベルではない。気づけば時計の針はどんどん進みとうとうラジオ深夜便を最後まで聞いてしまった。つまり朝の5時近くまで起きていたことになる。

 

何か強い不安があったわけではない。嫌な出来事を延々と考えていたわけでもない。スマホを見続けていたわけでもない。

本当にただ眠れなかった。

こういう夜は原因探しが始まる。疲労が足りなかったのか。昼寝の影響か。

ベッドが身体に合っていないのか。室温なのか。湿度なのか。

しかし考えれば考えるほど答えは遠ざかる。

 

人間の睡眠は意外と理不尽。

眠りたい日に限って眠れず起きていたい日は簡単に眠くなる。だから今は一晩だけで結論を出さないようにしている。

問題なのはこれが数日続く場合。

一日なら誤差。二日でもまだ様子見。三日続くと少し警戒。そんな感覚。

 

ただ今回はそこまで心配していない自分もいる。

経験的にわかる。今日はたぶん眠くなる。

自分の身体は昔から寝不足をあまり溜め込めない。

徹夜が苦手だった。

学生時代もそうだったし若い頃ですら夜通し起きているのは得意ではなかった。

無理やり起きていてもどこかで必ず落ちる。

結局睡眠不足の借金を身体が許してくれない。だから今回も同じだろう。

 

昨夜は支払いを先送りしただけで今日はその請求がやってくる。

おそらく強烈な眠気が襲ってくるはず。それを考えると少し安心する。

眠れない夜というのはその瞬間だけを見ると永遠に続くような気がする。しかし振り返れば大抵は終わっている。

昨夜もそうだった。

 

眠れなかった。それは事実。

でも朝は来たしこうして一日が始まっていた。

だから今夜もたぶん大丈夫だろう。無理に眠ろうとせず眠くなったら寝る。

寝不足を抱えた身体はきっと今夜自分が思っている以上に素直に眠ってくれる。そういう身体であることをもう何十年も付き合ってきた自分が一番よく知っている。

雨量計を買わなかった日【26/6/4】

台風が過ぎ去った。

もっと蒸し暑くなるかと思っていたが意外とそうでもない。台風一過と聞くと真夏のような暑さを想像するが現実は案外こちらの予想を裏切ってくる。

そんな天候の影響なのかここ数日は妙に気象観測への興味が高まっていた。

 

Amazonで雨量計を眺める。

どれくらい降ったのか知りたい。

自宅で観測できたら面白そう。

そんなことを考えながら気づけば購入ボタンの一歩手前まで進んでいた。

 

しかし今回は踏みとどまった。

冷静に考えた。本当に必要なのか?

雨量を計測してそのデータを何に使うのか?

たぶん使わない。

ただ台風の勢いに引っ張られて一時的に興味が高まっていただけだ。

そう判断してブラウザを閉じた。

 

以前の自分ならそのまま買っていた気がする。

そして数日後に届き箱を開けた瞬間がピークでその後は存在を忘れる。そういう買い物を何度してきただろう。

だから今回は少し違った。

「欲しい」と「必要」を分けて考えられた。

もしこれが成長なら悪くない。

 

もっとも何も買わなかったわけではない。

結局購入したのはサプリメント。

予想通りである。

気づけばまたサプリの種類が増えている。

最初はプロテインだけだった。

そのうちクレアチンが加わりビタミンが加わりミネラルが加わり気づけば朝のルーティンがちょっとした調剤作業になっている。

飲む量だけを見ると数年前の自分が見たら少し驚くかもしれない。

 

これは良いことなのだろうか。

正直よくわからない。

ただ一年以上続けていると健康のために飲むものから歯磨きと同じ習慣へ変わっていく。

効果を実感しているというより飲まないほうが違和感がある。

それが習慣というものなのだろう。

 

でも最近は少し思う。

本当に自分の身体は大丈夫なのか、と。

もちろん一般的な量を守っている限り大きな問題は起きにくいと言われている。

それでも人間はサプリを増やし始めると際限がなくなる。

 

だから、人間ドックを受けるという発想に行きつく。

健康への不安をサプリで埋め続けるより一度きちんと現状を確認したほうが合理的。

数字を見て安心するのも良いし何か問題があれば早めに対処できる。

少なくとも雨量計よりは役に立つ可能性が高い。

 

そう考えると今回買わなかった雨量計は意外と良い判断だったのかもしれない。

成長したのかどうかはまだわからない。

でも少なくとも雨量計を買わずに人間ドックを考えるくらいには大人になった気がする。

埼玉に海【26/6/3】

朝から台風が関東を直撃していた。

雨も風も強かった。そして午後になるにつれて横殴りの雨になり外の景色そのものが別の土地のように見え始める。

印象的だったのは田んぼ。

 

もともと水を張る場所ではあるのだがこの日は明らかに様子が違った。水量が異常に多い。さらに強風で水面が波立ち絶えず揺れている。

田んぼを見ているはずなのになぜか海を見ている気分になった。

埼玉県民が海に飢えているからなのかもしれない。

 

いやたぶん違う。

それくらい水と風の迫力があったのだ。

川もすごかった。

る河川敷が完全に姿を消している。いつも見慣れている景色が水の下に沈んでいる様子はどこか現実感が薄い。

晴れた日には人が歩き、野球やサッカーをしている場所。

その空間が一晩で消える。

自然は時々人間が勝手にここは安全だと思い込んでいる境界線を簡単に踏み越えてくる。

だから怖い。

 

普段は穏やかな川も条件が揃えば一気に牙をむく。田んぼも道路も関係なく水が広がり本来ここは水の通り道なんだぞと思い出させてくる。

人間のスケールで見れば大災害でも自然からすればただの通常運転なのかもしれない。

そう考えると少し複雑な気分になる。

 

そして天気予報を見ると今週末もまた低気圧が来るらしい。

さすがに今回ほどではないようだがせっかく台風が去ったと思ったら、また次の荒天が控えている。

一難去ってまた一難。

まさにそんな言葉が浮かぶ。

 

もっとも最近は天気だけではない。

仕事も体調も予定も気づけば「一つ片付いたと思ったら次が来る」の繰り返し。

人生そのものが低気圧みたいな時期というのはある。

ただ台風にも必ず通過するタイミングがあるように今の慌ただしさもいつかは落ち着くのだろう。

 

そう信じながらとりあえず今週末の天気予報をもう一度確認する。

できれば今度は埼玉で海を見なくて済む程度で勘弁してほしい。

 
 

もう食べられない味。【26/6/2】

 

給食で一番好きだったものは何だっただろう。

真っ先に浮かんだのはココア揚げパン。

あの妙に甘いココアパウダー。食べるたびに机の上や服にこぼれるのにそれでも嬉しかった。今思えば特別高級なものでも何でもないのになぜか無性に美味しかった記憶だけが残っている。

もう一つ好きだったのが少し水分多めの焼きそば。

大人になってから食べる屋台の焼きそばとも違うし家庭の焼きそばとも違う。あの給食特有のちょっとべちょっとした食感。今ならもっとこうした方が美味しいと言いたくなりそうなのに不思議とまた食べたくなる。

たぶん味そのものだけではないのだろう。

 

教室の匂いとか昼休み前の空気とか友達との会話とかそういうものが全部まとめて記憶に保存されている。だから再現できそうで再現できない。

そして気づく。

もう物理的に食べられない。

地元の給食センターはなくなった。民間委託になり当時と同じ設備も人も残っていない。

レシピが残っていたとしてもあの頃の味そのものはもう存在しない。

そう考えると少し寂しい。

 

同じことを大学時代の油淋鶏丼にも感じる。

厳密には大学へ行けば今でも食べられるのかもしれない。

でももう学生ではない。

昼間のキャンパスへ入る理由もないしそもそも遠い。

行けば食べられると実際に食べに行くは案外大きな違いがある。

 

結局思い出の味というのは味覚だけでできているわけではないのだと思う。

その時代の自分。一緒にいた人。その頃の悩みや空気。

全部込みで成立している。

だから完全な再現はできない。

 

たぶん誰にでもあるのだろう。

昔よく行った定食屋のカレー。

部活帰りに食べたラーメン。

祖父母の家で出てきた煮物。

もう食べられないわけではないのに実質的にはもう二度と同じ形では食べられない味。

 

そう考えていたら今度は現実の食欲が顔を出してきた。

給食でも大学でもなく今一番食べたいのは地元の街中華の炒飯。

あの少し濃いめの味付けとレンゲが止まらなくなる危険なやつ。

思い出の味を語っていたはずなのに最後は現在進行形の空腹に負けた。

結局、人間は過去を懐かしみながらも次の一口を探して生きているのかもしれない。

嵐の前の【26/6/1】

昨日は東京ドーム周辺に用事があった。

別に嵐のラストライブが目的だったわけではない。むしろ直前まで開催されていることすら知らなかった。

後楽園駅で電車を降りた時、最初に違和感を覚えた。

 

野球の試合がある日でもないはずなのに、人が多い。

改札へ向かう流れも妙に大きい。

「あれ?」

と思ったあたりでようやく状況を理解した。

嵐。

 

本来ならその時点で近寄らないという選択肢もあったのかもしれない。しかしこちらにはこちらの用事がある。目的地は東京ドームではなく家具フェス。

主たるミッションは家具選び。

マットレス、ベッドフレーム、布団。

人生の三分の一を預ける装備一式の更新である。

あれこれ悩みながら見て回った結果、無事に購入まで完了した。目的は達成された。

ただし金額もなかなかだった。

 

家具というのは不思議な存在だ。冷静に考えれば毎日使うものだから高くても当然なのだがレジで合計金額を見ると一瞬だけ脳が処理を拒否する。

そんなこんなで店を出た頃にはちょうどライブの真っ最中だった。

外にはものすごい人。

チケットを持っている人だけではない。

ドーム周辺には少しでも近くで空気を感じたい人たちが集まっていた。

本来は禁止されている行為なのだろうけれどファン心理としては理解できなくもない。

 

中に入れなくても、その場所にいたい。

同じ時間を共有したい。

好きなものに対する感情は時として合理性を超える。

ただ意外だったのは音漏れだ。

もっと遠くまで歌声が聞こえてくるのかと思っていたが少なくとも自分が歩いた範囲ではほとんど感じなかった。

最近の会場設備が優秀なのか、それとも音響設計の問題なのか。

期待して耳を澄ませていた人には少し厳しい環境だったかもしれない。

 

そして人混みを抜けて帰宅。

家具選びという一大イベントを終えた達成感に浸ろうとしていたところで現実が静かに姿を現した。

月2万円。

36回。3年間。

 

ライブ終演後の余韻よりも強烈な存在感でローンという現実が目の前に着席してきたのである。

もちろん納得して買った。

必要な出費だし睡眠への投資として考えればむしろ安いくらいかもしれない。

それでも数字として並べられるとなかなかの迫力。

昨夜はそんなことを考えながら帰宅した。

一旦保留【26/5/31】

予想通りというべきか脚の筋肉痛はしっかり発動した。

 

金曜日の夜この日記を書いていた時点ではまだ何の気配もなかった。しかし土曜日の朝目覚めた瞬間に違和感があり日曜日にはさらに悪化していた。

やはり筋肉痛というものは律儀。

忘れた頃にやって来るししかも毎回こんなにやったっけ?という顔で現れる。

 

そんな状態ではあったが土曜日は予定通り出かけた。

バーベキューをしてその後は美術館へ。さらに航空博物館にも立ち寄った。振り返ればほぼ一日かけて千葉県内をあちこち移動していたことになる。

普通に楽しかった。

ただひとつ強烈に印象に残ったことがある。

千葉の道路事情。

 

正直な感想を言うとあれはなかなか厳しい。

信号の配置なのか道路設計なのか交通量とのバランスなのかは分からないがとにかく走っていて妙なストレスが溜まる。流れそうで流れない。

普段は当たり前だと思っている環境も別の場所へ行くと評価が変わる。比較対象ができて初めて見えることは多い。

 

ただし。

所沢お前は別。

所沢はダメ。

そして考えてみると千葉で感じたストレスと所沢で感じるストレスにはどこか共通点がある気がする。

道路の作りなのか。

都市計画なのか。

昔からの街並みが原因なのか。

何かしら共通する要素がありそうだ。

たぶん調べれば理由も見つかるのだろう。

だが今は面倒くさい。

筋肉痛で階段を降りるだけでも気合が必要な状態で道路行政について考察するほどの余力は残っていない。

なのでこの仮説は一旦保留。

いつか気が向いたら調べるかもしれないしそのまま忘れるかもしれない。

 

そんなことより今はまずこの筋肉痛を何とかしてほしい。日曜日の自分は金曜日の自分に対する恨みを着実に更新し続けている。